とけないこおり

好きなものへの気持ちを素直に

#異担侍日報侍ふ vol.54_220427 をうけて

 

私は「商業的な音楽も芸術だと思う」けれど「売れるための音楽は本当にやりたいことじゃないことも大いにあるよね」という意見です。芸術はいろんな目的を内包していて、その目的を一直線に狙った音楽と、目的に向かって進むために置くポイントみたいな音楽がこの世の中にはあるんじゃないかなと。いくら売れるためという目的であっても、いざ表舞台に引っ張り出されるときに表出しているのは売れたいという自分の感情・目的なわけだから、結局その人自身の(あるいは会社やレーベルの描くそのアーティスト像としての)判断なんじゃないかなと考えます。

ただ、人間難しいもので「好き勝手やりたい」し「認められたい」って思っている人が大半だと思うんです。感情や思考をわざわざ作品にして発信する芸術家は尚更その傾向が強いと思います。自己実現と承認欲求のバランスはとてももろい。好き勝手やっていても評価が伴わないとモチベーションは下がるし、評価されても自分が本当にやりたいことではないと息苦しさを覚えるでしょう。自分のやりたいことがすぐに今認められるとも限りません。どれだけの芸術家が没後に大きく評価されるようになったかって話ですしね。やる気の永久機関というのはこの世に存在しないので、バランスをとるために両方ともに手を出すのが、もしかしたら精神衛生上いいのかもしれません。

 

以下は売れるためのというより、売れてからの音楽の話かもしれませんが、浮かんだ話が2つほどあったので書きますね。

私は、商業的すぎる曲は元からのファンをげんなりさせるものだと思っています。私が言う商業的すぎる曲というのは、タイアップ先の商品や物語ありきで、その世界観をなぞりすぎてそれ以外の物語を読み取れないもの、余白があまりにも狭められた曲を指します。こういった曲が次から次へと出されると、元から見てきたアーティスト”らしさ”が欠けている気がしてきてしまって、受け取る側のファンの消費も味わうより雑にのみこむ感じになる。出せば買うんだろって思われているんじゃないかと勝手に受け取ってしまい心が離れる原因になると思うんです。

ただタイアップの曲はすべて悪いと言いたいのではなくて、商品や物語と切り離されても独立した世界や物語を作れる曲、それが意図された曲もこの世には沢山あり、そういった作品は素敵だなと思っています。最近だと『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』主題歌の『クロノスタシスBUMP OF CHICKEN)』が特にそうでした。

note.com

私はコナンもBUMPも詳しくはないし、この記事は楽曲の細かい考察が目的ではないからそれはそれぞれのファンの方に預けるとして、記事内にもでてくる作り手・藤原基央さんのこの発言が刺さったんですね。

僕は僕の曲の書き方しか知らないし、僕の言葉しか書けないんだよね。僕の知っている感情、知っている現象しか書けないので。よくファンレターで、『あそこの部分のあの歌詞はあのキャラクターのこういう気持ちを表しているんですよね』みたいなこと言われるんだけど、それは本当に困ってしまいます。そう思ってくれるのは君の勝手だけど、重なるところを抽出しただけで、僕の心情だし。なんか、……わかりますかね?

出典:『MUSICA』2015年5月号、p.31

我々受け手は自分が理解しやすい範疇にまで歌詞を引き寄せて解釈しているのでタイアップ先の題材に積極的に重ねて楽曲を見てしまうけれど、当然作詞者の意図の軸がそこにないこともある。タイアップだからといってすべての作品が商材の世界をなぞってるわけではないんだな、と…。当たり前かもしれないけれど作り手が明言してくれているテキストってあまり見ないので、すごいハッとしたんですよね。私は『クロノスタシス』を映画館ではじめて聴いたので、はじめこそ映画の登場人物を思い浮かべながら聞いていましたが、MVや曲の歌詞そのものを読むうちに映画が介在しない世界の人間が聞いても反芻できる楽曲だなと思ったんです。

 

あと、矢花くんのブログを読んでいてサカナクションのあるエピソードも頭によぎったのでそれも触れさせてください。

https://www.tfm.co.jp/lock/sakana/index.php?itemid=1896&catid=17

(2014.1.9 School of Rockのブログより)

文中で語られているように、ギターボーカルの山口一郎さんは求められた曲(私はこれを”商業的な曲”だと受け取りました)を書くことに慣れすぎていて、結果として音楽が作れなくなるところまで追いつめられたわけですが、その時に本人を窮地から救っているのもまた音楽、それも作りたい曲だったと。

 

どちらのエピソードも、商業的な音楽と作りたい音楽の間にいる作り手の心情が垣間見えて考えさせられる内容だなと思っています。

自分も短歌を詠んでいるので表現者の端くれ。ついいいねやRTの数が気になることも多いけれど、共感や理解をしてもらうことがすべてではないし、自分にしかわからない領域を表現して、そこに共感がなくてもアウトプットしたことに意味がある作品もあるのと信じています。

自分のある領域から内側は理解されなくてもいいわ、という気高さ、プライドみたいなものと上手に付き合いながら世の中の波を泳いで行けたらいいよねえなどと思う矢花くんのブログでした。

 

ちなみに菅田くん表記、あまり気にせずサラッと読んじゃったな~。こういう細かいところ1回で気づくファンの人多いから毎回すごいなって思う笑

アラサー女、突然『名探偵コナン』にハマる

なんでこうなってるのかよくわかんないんだけど、私が特定の界隈にハマったときに必ず取る行動(公式動画見漁る、関係するWikipediaを徘徊する、検索しまくる)をしているのでこれはもう『名探偵コナン』にハマったんだと思う。なんでこうなったか整理しておきたくて備忘として書く。

 

数週間前金曜ロードショーでやっていた緋色の弾丸を私は見なかった。別にコナンが嫌いなんてことはなくて、夕方ついてたら流しながら家事したりダラダラ見たりはするし普通に好きではあった。ただ毎週見てはいないし、そもそも私には映画や金曜ロードショーを見る習慣がなかった。

ただその前の週の『本庁の刑事恋物語結婚前夜〜』は途中からなんとな〜く見て、高木刑事と佐藤刑事の関係にそれはもうもだもだしながらニコニコしながら見ていた。そういえば今度の映画で二人結婚式あげるんだっけ〜!*1そうかそうかめでたいなあと思いながらもこのときも映画を見に行く気はなかった。

先週の土曜日にYouTubeを漁っているとなぜかコナンの公式が緋色シリーズのアニメを期間限定公開しているサムネが表示されたので、なんとなく気になって見始めた。ら、やばい。これめっちゃ面白い。あっという間に30分すぎるし次から次へと公式のアニメ本編が流れてくる。気づいたらお風呂の時間になっていた。

私は普段ジャニーズのオタク所謂ジャニオタとして生きている。ジャニーズ用のアカウントのフォロワーとその晩雑談をすることになったので「YouTubeでみたコナンが面白かった」話を持ち出したら、どうやら相手はコナン映画のメインテーマイントロクイズガチ勢らしく、その良さを教えてくれた。通話を終わらせたあとに音源を聞くとどれも個性があって楽しい。耳馴染みがあるのは瞳の中の暗殺者、ワクワクするのは天国へのカウントダウン系統だなあなんて思いながら聞いていると、京都が舞台なのに京都っぽくないエッジのきいた音楽が流れてきた。から紅の恋歌のメインテーマだった。

えー!こんなコナンっぽくないイントロのもあるんだ!実際の映画でどんなふうに流れるか聴いてみたいな〜と思い、次の日の日曜に望み薄でアマゾンプライムビデオを検索すると、ある。映画がほとんどある*2。から紅ももちろんあったので再生したら開始数分でクライマックス並の展開があって私はあんぐりしてしまった。2時間近い映画だから音楽だけ聴いて終わらせるつもりがすっかり見入ってしまったのだった。

2時間後の私といえばもう、平次と和葉の恋路にニヤニヤするだけの動物になっていた。そこで思い出したのは数年前の金曜ロードショーでみたあの男のセリフとときめきだった。

『僕の恋人は、この国さ!』

ききたい。そのシーンだけじゃなくどうせなら前段の展開からしっかり見た上で喰らっちまいたい。映画を一本見たあとなのに私は『ゼロの執行人』を再生し始めていた。

2時間後の私といえばもう、安室の女になっていた。安室の女ってこんな気分なのか。生物学的男女であるかどうか関係なくこの国の人間であれば安室の恋人。みんなあむぴの掌の上である。ワハハハハハハハハハムサンド食べたい

次いで私の脳内にもっとときめきたいという願望がうまれた。名探偵コナンシリーズにはいくつかカップルが登場するが、園子ちゃんに京極さんという彼氏がいることをふんわりと知っていたので、よく知らないし馴れ初めでも見ておくか〜と思ってこれまた公式が配信しているありがたい映像を見ることにした。

https://youtu.be/BjUwYnc4X-I

https://youtu.be/s-e5r4v-p-Q

ヒーーーーーーン京極さんがかっこよすぎる。すき。もっと見せろ!!!!!!と反乱を起こしそうになったとき映画紺青の拳が京極さん回だと知った。そんなのもう再生するに決まっとろう。

2時間後の私といえばもう京極さんにメロメロであった。園子ちゃんいいなあいいなあ。めろめろめろめろ。ここでやっと自分が、普段見ない映画を3タテ視聴していることに気づく。え、もしかしてこれハマってしまった?と悟ったときには沼に両足を突っ込んだあとだった。

人間皆何かしらのオタクであるから、私はジャニーズ用のアカウントと、アニオタの多いリア垢でそれぞれオススメのコナン映画を教えてほしいとお願いをした。持つべきものは友、フォロワー、有識者。たっぷりの情報と原作全巻持ってる強い友からのアシストを得た私は、ちょっとずつアマゾンプライムでオススメ映画を見ていくことを決めた。今まで映画をほとんど見ない人間のもとでポケモンキルラキルとユーリオンアイスの再生のみに使用されていたアマゾンプライムビデオがやっと日の目を見ることになった。ヤッタネ!

翌日。月曜日の私は朝から飢えていた。あむぴかっこいいかわいいすてき、あむぴの運転で首都高を大暴れしたいなあ。コナン君みてワクワクしたいなあ。そういうことならやることはひとつ、仕事をぶっ倒して映画を見に行くと決意。思い立ったが吉日なので早速月曜日にハロウィンの花嫁を見に、参列してきたのである💒

2時間後の私といえばもうそれはそれは楽しくなってしまい世界が一段と明るくなっていた。好きなものが増える喜び!キャラクターたちの大活躍にど派手なアクションに冴えわたる推理に恋模様!!!!!たーのしーーーーーーー!!!!!!!!ちなみに眼がギンギンになっちまったので家に帰ってから世紀末の魔術師見た。元気すぎる。

てかごめん散々あむぴ♡とか京極さん(めろめろ)とか平次……………(罪な男や………………)とか高木刑事😍😍😍😍ってなってたけど*3、結局私は風見裕也さんにお味噌汁を作ってあげる人生を歩みたいかもしれない……………………推しキャラとかまだないけど風見裕也さんのこと、だいぶ好きだぜ…………………(おわり)

 

*1:この認識があってるけど間違ってることを後に知ることとなる

*2:あとから知ったけれど2022年4月から映画の配信が解禁になっていたので、絶好のタイミングだったのだと思う。おかげで一人コナンファンが爆誕したわけで…

*3:コナン君はメロメロというよりも応援してしまうので

とむらいのうた

好きな曲の話とかアーティストの話ではないのだが、音楽の話で書きたいことができたから、書く。人間の生老病死の話をこういうところでするのもどうなんだろうと思うが、曲を聴く背景にパーソナルな事情が絡んでくるのは当然のことなので、そういったことも交えながら。

 

大切な人の死と向き合う時、あなたは音楽に頼るだろうか。その音楽とどう出会って、どんな頼り方をしているだろうか。

 

私は身近な人が亡くなる度に、サカナクションの『グッドバイ』という曲を聴いてきた。きっかけは、四人いた祖父母のうちの一人目、母方の祖父が亡くなったときにプレイヤーから流れてきたことにある。

その日は大学3年時の3月1日、就活の解禁日(合同説明会がスタートする日)だった。事前に見回る企業ブースの目星をつけ、大きめの会社の講演会は予約をし、できる準備をして合説会場に向かっていたところ、行きの電車待ちのホームで母から訃報の知らせが入ったのである。

葬儀まで時間はあったので、半ば上の空になりながら説明会で回るところを回って、少し早めに切り上げて実家に帰ることとした。体が弱くなっていると知っていたから、後悔のないように帰省の度に顔を見せ会話をしてきていても、看取ったわけではないから「死」「離別」の実感は対面するまでは湧かなかった。でも湧いてこないからといって当然悲しい気持ちはあって、幼少期に曾祖母を亡くして以来の親族の葬儀であったので、私は不慣れな喪失感に包まれてとても不安定な状態だった。

合説会場から下宿先、下宿先から電車、バスを乗り継いで実家につくまで、私はこの不安定さをわずかにでも解消する必要があった。Googleで「離別 悲しみ 向き合い方」とか「祖父母 亡くなった」とか、世間一般の対処法を一通り調べる。少し落ち着くけれど、それでもおさまりきらない心のざわつき。自分の五感を何かに傾ける必要があると感じて、私はスマホの音楽プレーヤーを立ち上げた。

しかし困ったことに、私の聞くアーティストはものすごく偏っていたので、当然曲の雰囲気も偏っていた。基本的にテンポの速いかっこいい曲や楽しい曲、頑張れっていってくれる曲が好きだったために、普段聞いているプレイリストの曲調や歌詞が全く自分にフィットしないのである。だって極力穏やかになりたいし頑張りたくもないし頑張っても戻ってこないものと向き合うために曲を聴くのだから。

とはいえ今のようにSpotifyなどのサブスクも普及していない頃なので曲をあさることもできない。どうしたものかと思いながら、普段きまった曲しか聴いていなかったアーティストのアルバム曲を片っ端から聞いていくことにして、冒頭紹介した『グッドバイ』で手が止まったのである。

サカナクション - グッドバイ (MUSIC VIDEO) - YouTube

離別に関する曲として思い浮かべる有名な曲には『千の風になって』『涙そうそう』『花束を君に』なんかがあって、これらは比較的はっきりと「死」や「その後残された者たちの向き合いかた」にフォーカスをあてて歌っている。

一方でこの曲、タイトルでもサビでも『グッドバイ』と伝えてくるけれど、歌詞自体に死が織り込まれているわけではなく、あらゆる別れや区切りに適用できる曲になっている。また歌詞の主語も亡くなった側/残された側どちらにとることもできる。だからこそ…この解釈に余白が持たされていたからこそ、死と向き合う導入歌としては最適だったのだと、時間が経った今考えている。*1

 

先日父方の祖母が亡くなり、祖父母四人全員が旅立った。何度立ち会っても、棺桶に花を入れる時と焼かれる前にお別れする時は慣れなくて涙が出るし寂しいもんは寂しい。次の葬式は親(かそのきょうだい)が死ぬときで、とても耐えられる悲しさではないだろうけれど、今から数十年をかけて覚悟を決めて準備をしていかないといけないんだろうなあと思い直す。私はこれからもこのさきも一人っ子で、パートナーをもたずひとりで生きていくのだろうから。

また明日、普段住む街に戻るとき、私はこの曲を聴きながら帰る。聴くことで亡くなった者への気持ちを整理する。そして遠い未来であってほしいが、親が亡くなるときも同じようにこの曲を聴きながら段々と気持ちを整理するのだと思う。その時は自分の支えになるものがより多くあるように、一日一日を必死になったり休んだりしながら重ねていこうと思う。そのくらいしかできないけれど、きっとそれが生きるということなのだろう。

*1:実を言うと『グッドバイ』との出会いはもう少し前で、NHKスペシャル「NEXT WORLD 私たちの未来」で流れていたREMIX版だったと後から気づいた。こちらは非常に近未来間のある音作りがされているので、死の悲しみというよりは未来への創造を感じられる曲調になっている。そのため初めて聞いたときはこの曲から死や離別のにおいはかんじておらず、旅立ちとか区切りの印象を強く受けた。Good-bye (NEXT WORLD Remix) - YouTube

絵心のないオタクによるハガキ活動(後編:アイテム、構成、書き方)

このブログを読んで欲しい方

>>タレントの応援の一環でハガキを送付してみたいものの「送ったことがない初心者で…」「何を書いていいのかわからない」「絵が描けないからタグで投稿されているような大層なものは無理」こんなことを思ったことがある方

 

後編ではハガキの中身…構成や書く内容について書いていきます(なにかデザインを学んでいたわけではないので比較的簡単な構成とそのバリエーションを紹介)。タグを参考にして構成を考えることも多いので、人様のアイデアと似てきてしまっていることがあるかもしれません…タグを参考にするときは、構成こそ似ていてもデザイン丸被りということがないように留意する必要はありそうです(とはいえ自分が応援しているグループに限らず、他グループのハガキタグを覗きに行ってお勉強したりすることは多々あります)。

 

■そもそも何をそろえればいいの…?

大体の画材は100均で揃います。揃わないものや色々な種類を見たい場合は東急ハンズやロフトなどのバラエティショップ、ネットショッピングを活用しましょう。はがきは、官製はがきより市販の無地のポストカードを購入することをオススメします。失敗しても2円で済むし、なによりたくさん入っているので…(大体50枚入り)。好きな切手を別で買って内容に合わせて貼るなど、楽しむ要素を増やした方がモチベーションが上がります。

はがきは100均で買うとためにものすごい裏移りする、強度のない薄いものがあったりします。個人的には二袋めに買った協和紙工さんのはがきが厚みもあってリピートしています(何も書いていないはがきサイズの紙をつかってもいいのですが、住所書く側に”POSTCARD”って書かないと送料高くなるので注意です)

お徳用はがき 50枚入 62-040: 100円ショップ/100円均一-オフィス・現場用品の通販キラット【KILAT】

使うといい、あったら便利な文房具アイテムは沢山の方がブログやツイッターで紹介しているのでいろんな記事を参考にしていただきたいのですが、初心者の私がハガキ始めたばかりに買ったものを4つ書いておきます。

①マイルドライナー:いろんな人が使っている印象があったので、手始めにメンバーカラー分購入しました。見出しや本文中の名前の下線をこれでひいて少し強調するもよし、タイトルをおっきく書くもよし。これで書くだけでかわいくなるめっちゃ便利なペンなのでとりあえず何色かあるとよいです。

ZEBRA | ゼブラ株式会社 | マイルドライナー

②マスキングテープ:ハガキの外枠や本文枠を作るのに便利です。太いものは外枠、細いものは内枠や断ち切り線に向いています。とにかくいろんな種類があるので、自分が使いたいものを使うもよし、雑誌や番組のロゴ、イメージにあうものを使うもよしです。ハガキをやっていると増えがちなアイテムNo.1(個人の見解)なので無印とかで売っているラップケースに入れて管理するのがおすすめです。

ポリプロピレンラップケース 小/約幅20~22cm用 | キッチン消耗品 通販 | 無印良品 (muji.com)

 

③ポスカ(極細):ロゴを描こうかな、と思っている人は必須。見出しを強調して書くのにも便利です。私はどうせいろんな色が欲しくなるだろうと思って12色セットを買いました。捨て色ナシ!どの色も使っています(色数が多すぎる人もいると思うので、少しずつ買い足しても○)。

Amazon | 三菱鉛筆 水性ペン ポスカ 極細 12色 PC-1M.12C | 文房具・オフィス用品 | 文房具・オフィス用品

④太さがちがう黒ペン:本文を書く時間、文量は多いので、かすれやこすれといったストレスなく書けることが大切だと思っています。私はエナージェルがすぐ乾くしスルスル書けるので大好きです!0.7㎜くらいのやや太径を見出しに、0.35㎜の細径を本文にと使い分けています。ただ、ハガキが湿気や雨にさらされることを気にするのであれば、滲みにくいものをリサーチのうえ選ぶようにしましょう。

エナージェルユーロ(キャップ式)|商品紹介|ぺんてる株式会社 (pentel.co.jp)

…まあいろいろ書きましたが、最初のうちは細かいこと気にせずに手持ちの使い慣れた文具をそのまま使っちゃいましょう!筆者なんかはとりあえずハガキを書いてみたくて、テキトーにコンビニに売ってるペンと筆箱の中身だけで始めましたので…。あとからいくらでもこだわれる部分ですし、道具をちょっとずつそろえるのも楽しみの一つです☺

 

■絵を描けなくても色々な構成がつくれる!

先述したペンやマスキングテープを使用することで、イラストなどを普段描かない人でもバリエーションのある構成でハガキを書くことができます。さらに、「どんな色柄のアイテムを使うか」に加えて、「ハガキは縦か横か」「枠を作るか」「タイトルや本文などの要素をどのように配置するか」で随分バリエーション豊かにできます。

 

ー色柄の決め方

色もマステの柄も、基本的には媒体のロゴや掲載ページの色合いから引っ張ってきます。メンバーの特技や好きなものがシンボリックな場合はそういったイメージに近い商品を使うもよし(魚、音楽、動物、数学…)、要望やお礼を送付する先のコンセプトに合った商品を使うもよしです。

探し方のコツですが、バラエティショップの特設コーナーやハンズメッセで販売されているマステは、通常ラインナップではないもの(元々福袋だったものをばら売りているとか)の時もあります。通常販売商品でないものが欲しい時はそういった催事に足を運ぶのがおすすめです。また、100均のシールはかわいいものが安くバリエーション豊かに手に入るので、もっといろんなハガキを書きたくなった時にお店をのぞいてみましょう。かぶりのないものが欲しいなど、こだわる方はクリーマなどの個人ショップで探すのも楽しいです。

 

ー外枠を作るタイプ

マーカー線やマステ(太くても細くてもOK)でハガキをぐるっと一周囲むだけ。色味を見出しに使用する色に合わせると統一感がでます。左が基本形、右は亜種で同じマステを使用しているのですが雰囲気が少し変わって見えます。(生活感丸出しの写真ですみません)

f:id:nf_tanzanite:20220122212642j:plain  f:id:nf_tanzanite:20220122212235j:plain

 

ちなみにこれはフォロワーが教えてくれた100均で売っているカラーマステ10色入りの一部なのですが、単色使いだけでなく重ねて使うとグラデーションが簡単に作れるので、オススメです(マーカーでこれをやろうとすると、インクごと定規が引っ張っちゃったり線が斜めになったりするのですが、そのリスクがない!)。

f:id:nf_tanzanite:20220115022130j:plain

マスキングテープA(6mmx3M、10色) | 【公式】DAISO(ダイソー)ネットストア

マスキングテープB(6mmx3M、10色) | 【公式】DAISO(ダイソー)ネットストア

 

ー外枠の一部に「抜け」をつくる 

枠の上下だけ、横だけ、あるいは一辺だけなどにしても。見出しを横いっぱいに書いたり、本文が多くなりそうな時は囲んでしまうとスペースが足らなくなるのでこんな構図を取ることもあります。

 

f:id:nf_tanzanite:20220123004632j:plain  f:id:nf_tanzanite:20220122212231j:plain  f:id:nf_tanzanite:20220123004827j:plain

これはさらに変形させたパターンです(天板の柄で見づらくてごめんなさいね)。一番左は四つ角に対して装飾するパターン(右上と左下/左上と右下だけにするアレンジもできる)。真ん中はすこし斜めに貼り付けることで動きを出しています。一番右はマステをあえてあの位置に貼ることで、「番組ロゴ・見出し文」と「本文」の断ち切り線がわりにしています。この場合結構「ぶったぎってる感」が強く出るので、背景が透過されている/薄い色/細め/のマステを使うと自然です。もちろんマーカーやシールを組み合わせても○

色々書きましたが慣れないうちはベーシックにまっすぐマーカーやマステを使用して枠を作り、慣れてきたら斜めにしたりほかのシールと組み合わせて動きを出すとよいかと思います。

 

ー内枠(本文枠)をつくる

外枠を作るのではなく、本文を書く内側に枠を作る考え方もあります。シールや枠線を見出し部分の色と合わせれば統一感も出て失敗しにくいです(本文を強調したければあえて濃い色や補色を使うのもアリ)

f:id:nf_tanzanite:20220123004446j:plain

個人的に上のように角シールを使って枠をつくるのがかわいくて好きなので、今後も構図にこまったら沢山使うんだろうな…と思っています。別にこういった角シールでなくても、市販のシールを上の写真のように対角に貼って、枠線を書いて内枠を作るだけでバリエーションがだせます。

 

ー要素の配置の仕方

ここでいう要素とは、「媒体のロゴ(タイトル)」「見出し」「本文」のことを指します。先述したようにハガキに装飾を施すこともあるので「文章量をある程度イメージする→要素配置を考える」か「本文以外の要素を枠も含めて配置→できたスペースに本文を書く」必要があります。どちらが向いているかは人それぞれですし、私も普段意識して決めているわけではないのですが、最初のころは前者で、最近は慣れてきたこともあり後者のパターンが多くなりました。結構文章量が多くなりそうだなと予想されるときは今も前者のパターンで構成しています。

f:id:nf_tanzanite:20220122212510j:plain f:id:nf_tanzanite:20220123004509j:plain f:id:nf_tanzanite:20220122212508j:plain

基本はこのようにロゴと見出しを配置するのですが、ロゴの大きさや配置で随分印象が変わります。センタリングすることで余白が気になるのであれば、シールを貼っておけばOKです。さらに、特集名をタイトル下にあわせて配置したり、見出し文に含めて「(グループ名)〇〇くんの~~~~特集への掲載、ありがとうございました!」とすることもありますね。

※ハガキ例ではロゴとしていますが媒体名をそのまま書けばOKです。あまり難しく考えずにやってみましょう!

 

f:id:nf_tanzanite:20220115022500j:plain f:id:nf_tanzanite:20220123004445j:plain

また、縦書き横書き共通して言える当然っちゃ当然のことなのですが、ロゴや見出しを大きく配置すると本文を書くスペースは大分狭くなるので、この配置にするときはあまり文章が書けないという認識を持って配置しましょう。(私はロゴ描くのが楽しくてついでかでか描きがちで、よく後から頭抱えています…)

紹介したような「要素の配置」は、各グループのハガキタグに多くの方が投稿しているので参考資料が沢山あります。チェックしてみてください。

※ちなみに書いてきたようなことをハガキ自体に反映させるとこんな感じ(過去作、拙作ですが…)

 

■何を書いたらいいかわからない人へ

枠も作ったし配置も決まった。でも本文に何を書いたらいいの?という人もいると思います。ハガキタグなどをみても本文の部分は皆さんモザイクをかけているので何を書いているかわかりませんよね。思いを乗せられる肝心な部分である一方で、書きたいことがまとまらない人もいるはずです。なので「個人的にはこうしているよ」ということをここに書いてみようと思います。

ハガキは大きく「お礼」と「要望」の2つに分かれます。目的が違うので当然、触れる内容も異なります。初心者はまず「お礼」を書くことからはじめてみましょう。「要望」の場合、なぜその子がいいのかという理由付けを根拠を持って示す必要があり、書きなれていないうちはその材料を集める作業のハードルが高く感じるからです。

 

ーお礼の書き方

番組を見終えた時や誌面を読んだ後のかっこよかった、嬉しかったといった正直な感情はもちろん大切にするとして、それだけではハガキの本文にするには少なすぎるので悩みどころです。その場合、媒体をつくる様々なスタッフさんに目を向けるとよいでしょう。スタイリングやメイクをする人、インタビューをする人、各メンバーの紹介などで見出しを付けている人(編集者さん)…。すべてに触れる必要はありませんが自分がときめいたポイントに対して一段階掘り下げてコメントすると、手をかけて作り出した側も嬉しいんじゃないかなと思うのです。とはいえそこまで難しいことはなくて、例えば私が過去に書いた例をあげると

スタイリング:「いつもロックでクールな衣装を着ることが多い彼らですが、今回はポップな色味の衣装で新たな魅力が引き出されていて嬉しかったです(SODAあて)」

インタビュー:「毎回この雑誌に掲載されるときは、プロフィールのちょっとした質問が大好きで、読むのが楽しみです。アイドルである彼らの人となりが垣間見えたようでほほえましくなります(これもSODAあて)」

(……この人SODA大好きだな)まあこんな感じで、タレントのコメントや姿そのものだけでなく、媒体がカタチとなって我々の手元に届くまでに通った様々な人の手仕事を思い浮かべながら、それに対して感想を述べていくと一定量の本文になります。あとは「〇〇くんが掲載されていたので買いました」という”売上に貢献するタレントですよ”という一文を入れることもありますね。

お礼ハガキは推しへのファンレターみたいなものです。照れくさくても沢山好きとか褒めたいポイントがあって書けちゃうのと同じで、ハガキの本文が書きづらいなって方は心が揺さぶられた雑誌の好きなところ、感動したところを素直に書けば、きっと作り手には伝わると思います◎

また、それでも書きづらいなあって方はツイッターを…ご自身のつぶやきを材料にしてあげてください。人によっては感想や自分の反応が新鮮な状態で記録されているので、それを対外的にみられても差し支えないような表現、文体に変えるだけでハガキの本文になります。

動画に提供をいただいた際は、(提供するくらいなので売り上げを上げたいわけですから、商品を購入した場合は)「その動画をきっかけに買いました」としっかり伝えます。使ってみた感想を一緒にかけばちゃんと使ってくれたんだなと伝わりますし、他のアイテムも買ってみたと伝えるのもいいでしょう。

文の終わりには「また機会があれば/引き続き/今後とも、〇〇くん(あるいはグループ名)をよろしくお願いいたします」等、次につながる一言を入れると読後感もおさまりもよいです。

 

ー要望

要望を送る場合は最低限「タレント本人が出演や掲載を望んでいる(過去に別媒体や公式ブログで言及している)」あるいは「本人の特性にあった内容である」必要があります。すっとんきょうなところにやみくもに送ったところで、こちらも疲弊してしまうし何より相手に迷惑になるだけですからね。お礼ハガキがファンレターなら、要望ハガキは就活のエントリーシート、履歴書みたいなものだと捉えればよいでしょう。大切なのはその人を起用して企業側にメリットがあるか?その人の特徴と番組や雑誌の内容は合いそうか?で、その答えが伝わるようなハガキを作る必要があります。

要望を書く場合は本人の雑誌での発言や、過去の経歴・特技、動画が資料があればそのQRコードを印刷して貼るなどしています。ただこの材料集めが大変で初心者向けではないため、慣れたころ余裕あるときに、自分が送りたいなあと思ったら書くといいと思います。こだわりがなければグループの中で「文字だけで伝わる実績があるメンバー」にまずトライすると書きやすいです。その次はYoutubeや島動画で自分の特技を挙げているメンバー。QRコードを作成するのは手間ですが一度作っておくと楽です(私はこれから作る予定…)。動画は目で見て耳で聞いてわかりやすいですからね!

 

前編、後編と書きましたが、ハガキ書きたいけど手を出しづらいな、何からすればいいのかなと思っている人にとって、前に踏み出すきっかけを作れていたら幸いです◎みんなでゆる~く、各々のペースで楽しみましょう☺✉

絵心のないオタクによるハガキ活動(前編:きっかけや気の持ち方)

このブログを読んで欲しい方

>>タレントの応援の一環でハガキを送付してみたいものの「送ったことがない初心者で…」「何を書いていいのかわからない」「絵が描けないからタグで投稿されているような大層なものは無理」こんなことを思ったことがある方

 

好きなタレントがTVや雑誌等の媒体にのった時にお礼を伝えたり、起用のお願いなど要望を送る際にファンはメール以外にハガキを使うことがあるのですが、各グループごとのタグをつけてTwitterに投稿しています。例えばジャニーズJr.「7MEN侍」関連のハガキについているものは「#セブンメンハガキ」で、これをみるといろんな人がいろんなハガキを書いて送付していることがわかります。

 

こういったハガキの有用さはあらゆるグループのファンの方が様々なブログやツイートで語られていますが、そもそもハガキを書きたくてもハードルが高いと感じる層がいるように見受けられたので、書く理由と初心者がまずそろえるとよいもの、簡単な構成や内容等についてブログを書くことにしました。こちらの前編では、ハガキを書く時の気持ちの在り方や、無理なく継続するために大切なことなど、個人的に書いていて思うことをつらつらと書いているので、書き方や文房具の話は後編をご覧いただけると嬉しいです。

 

■初心者でも大丈夫!

私自身ハガキを始めたのは2021年夏以降のひよっこです。応援しているグループのメンバーが「ファンの力を貸してほしい」という明確な意思表示をしてくれたことをきっかけに、ファン側の「追い風を生み出そう」という機運が高まった時期に、冒頭のタグやハガキという思いの伝え方を知り、それから書けるときに書きたいものについて書くようになりました。

 

元々私自身SnowManが好きなので「#スノ担ハガキ部(SnowManのファンのハガキタグ)」の存在は知っていました。でも自分が送らなくても仕事がもらえる子達だし(ファンの母数が多いので送る人も多く、事務所が仕事を与えてくれるデビュー初期)、イラストは描けないのでたいしたものはつくれないだろうし、参加しようという気持ちは特に感じていませんでした*1

裏を返せば、「自分も送った方がいいかな」「イラストかけなくてもできるんだ」という気持ちに切り替わって、そして何より「ハガキ書いてみたら楽しいじゃん!」と思えたことで参加、継続できているのかなと思います。

7MEN侍は2021年に仕事の場をより増やしましたが、彼らが目指している通過点や、個々人のやりたいことを叶えるには「声」を届けることが追い風になりうる、と個人的に思っています。現に本人たちが、公式ブログをはじめとした各媒体でそういった”協力”を求めてきている以上、趣旨をふまえた上でルールと節度を守れば、媒体そのものや赤の他人に迷惑がかかる行為ではないと考えられます。アイドルが商売的なものと切っても切り離せない以上、端的に行ってしまえば「この人を出したら喜んで買う、見る層がいるよ!」という需要を伝えることも大切になるためです。

もちろん願っても送っても業界の事情や順番待ち、影響力のある人の裁量で叶わないことのほうが多いことは認識していますが、少なくとも彼らが活躍したい媒体や分野に種をまくことができる、その一助にはなるのかなと思っています。

※「声」を伝えるにはもちろん各媒体のメールフォームから文章を送るのも手段の一つです。ただしハガキは切手代や書く労力がかかることに加え、各媒体の責任者層には手書きのものがささりやすいということも言われているため、書きたいと思った媒体には積極的にハガキを活用するのも手です☺ 

そして何より、タグを見ていると意外と書き方は様々で、イラストが描けなくてもアイテムで工夫をすれば応援ハガキは書ける!ということもわかりました。やってみるとタグに普段投稿している人たちがいいねしてくれてちょっと嬉しくなり、よりやる気が出てだいぶ意欲喚起につながっています…やっぱり人間褒められるのは嬉しいもんね(^ω^)←♡もらうと毎回こんな顔になるひと

 

■応援ハガキを書いてみるうえで大切なこと

・全部書かなきゃ!と思わない(送らない、送れない媒体があってもいい)

買わない雑誌や繰り返し見る気が起きないYouTubeがあるように、送らない雑誌があってもいいのです。というか、書きたいから書けばいいものであって、無理をすると続きません。人間趣味でもノルマがあると義務になってしまうので…買ったら書かなきゃって思考になると雑誌買うこと自体がしんどくなり悪循環ですよね。

私はハガキを書く優先度をはっきり決めているタイプです。あと本来の生活を優先する!ハガキの優先度は変動することもありますが大体こんな感じです↓

初登場の番組や雑誌、動画の提供>テレビ番組≧普段は掲載されない女性誌などへの掲載、ステージ雑誌>表紙やピンナップがついたドル誌>他Jrと一緒に掲載されている雑誌>アイドル雑誌(いわゆる5大誌)

他のグループも載っていて比較される可能性もあるからこそ、ドル誌に要望を示すのも大切なので、この順番は考え方がわかれるところだと思います(人それぞれでよい部分ですが、自分の手を付けやすい順番がみえてくるとやりやすいですね)。なお紙媒体で買ったときは、付属の読者アンケートを出すようにはしています◎

 

・自分たちのおかげだと思いあがらない(個人的に一番大事だと思っています)

誌面で取り上げられたとしても、本人から言及があったとしても。自分の中でより応援をするための燃料にするにとどめたほうがいいんだろうな、というのが私の考えです。仮にやった分の成果が得られなかったときに怒りの矛先を推しに向けないためにも、私たちのおかげと自分から思わないようにしなきゃなと意識しています。これはあくまでも、推しのためになるだろうと解釈したファンが勝手にやっていることなのだから、と。

 

ここまで書いてきましたが、最後に一点。私自身、他と比較した評価のためにタグツイをするだとか、無理やり再生回数を伸ばすということを好みません。「ファンは盲目にならず、良いものは良い、好まないものは好まないという芯を持って応援していたい」と考えているからです。ハガキを書くことについても人それぞれの考え方があり、送る量や頻度、そもそも書くことそのものを良しとするかどうかも応援スタンスによって異なると思います。このブログでは書かないといけないんだという強制をしたいのではなく、何かできないかなと思っている方がその手段の一つとしてハガキを書く、そのハードルを低くすることを目的として書きました。

 

私自身めちゃくちゃレベルの高いハガキを書けるわけではないのですが、初めに買ったものを次の記事で紹介します。後編へ続く~

*1:誰かやってるし…っていうフリーライダー現象もあるかも

#異担侍日報侍ふ vol.34_211208 をうけて

矢花さんの”思考系ブログ”は、矢花さんへの返信を考えるときに自分を解体して見つめなおす作業ができるので、好きです。一定数いると言われている、嬉しがってる人間の一人ですね。

 

普通でないことは「発見に満ちていて」「縛られるものがない」ということだと思っています。でも本当にそうなのでしょうか。

矢花さんは未来志向的に「普通とは何か」「普通/普通じゃないをどう選び取るか」という話をしていたので、だいぶ趣旨はずれますが、私は「他人によって形成されてしまった普通/普通じゃない感覚に苦しめられているときどうしたらいいのか?」という問題提起をします。ここで解決する気はないです。だって書いているわたくし自身がそれに困っていて答えが見つかっていないのですから。

 

 

私は昔から手のかからない子だったらしく、幼少期こそ無意識に、物心つくと意識的に「いい子」で過ごしてきました。勉強はできたほうがいいし、先生には怒られないほうがいいし、目を付けられないほうがいいし、人には嫌われないほうがいい。普通でいるということが枠からはみ出ていることだとするならば極力周囲と「なじむ」努力をすることが自分にとって得だと思って生きてきたのです。

 

ブログで矢花さんが書いていたような、そういった後天的に獲得する「普通であろうとする意識」とは別に、先天的な部分や本人が選択に関与していないのに「普通な部分」「普通ではない部分」というのができるのもまた事実だと思っています。好きでもないのに生まれた家庭環境や、他人の気まぐれが作用して得た経験などです。

 

日本における、子のいる世帯のうちふたり親世帯の割合 9割程度*1

高等学校から大学進学する子どもの割合55.4% *2

大学進学したうち就職する人の割合 約9割 *3 

割合だけの話であまりにも乱暴な言い方ですが、少数派をイレギュラー、珍しい(自分で書いていてこの表現が正しいとは思っていません)と表現してしまうならば、父親も母親もいる家庭に生まれ、大学までありがたいことに進学させてもらえ、就職できた私はいわゆる普通の人生を歩んでいるといえます。そうではない何%かには該当せずに、場合によってはある種の優位性を得た状態でそれに気づかないまま過ごしてきています。普通でいるということは、そうではない人たちや少数派の人たちの立場や存在を忘れてしまうことがあるということで、静かな、血が飛び散ることもない、でも確実に暴力的なことをしてしまっている可能性が往々にしてある…そんな危険性をはらんだ「普通」というのも、きっと世の中には多く存在していることでしょう。

 

先程自分の歩んだ人生が普通だと表現しましたが、普通じゃない要素を後から自覚させられたり、気づかされることもあります。以下2つ、個人的な経験から例を示します。

【①家庭環境】私は「働く母と専業主夫の家庭」育ちですが、大学に入ってジェンダー社会学の授業で多くの同級生が「働く父と専業主婦の家庭」(あるいは「共働き」)を一般的と考えていると知って非常に驚きました。たしかに、父親が働いていないことで世帯収入が低く、大学の受験先を絞らないといけなかったため、「何でほかの家みたいに働いてくれないの、お金稼いでくれないの」と思ったことは多々ありました*4。そんな家庭環境の珍しさに対して意識的にフォーカスするきっかけが大学の授業だったわけです。

 

【②恋愛】(アイドルブログへの意見で恋愛の話ってどうなのって自分でも思うけどこの後言いたいことの前フリだからあえて書きますが)大学の時に過ごしたコミュニティは女友達同士で遊ぶことばかりで、皆異性と遊ぶ、お付き合いするよりも勉強や趣味に打ち込むタイプだったので、「付き合ったことがないこと」を気にすることはありませんでした。でも社会人になりそれぞれの新しい世界に進むとそれなりに出会いがあったりして、久しぶりに会って話すと人並みにみんな恋愛しているわけです。私が同じような人種だと勝手に思っていた人たちはきっかけがなかっただけで、チャンスがあれば、その気になれば恋愛できるベースの持ち主たちだったのです。その時に、恋愛できない自分は普通じゃないと強く感じました。

「恋愛できない」もっと正確に表現するならば「人を好きになることがないわけではないがその頻度が極端に少ない」「友人と恋愛対象の線引きがわからない」「なんなら恋愛感情を気持ち悪いと感じることもある」そのほか負の要素を多く考えてしまうため、一般的なデートにいくタイミングやノリで付き合う感覚に全く共感ができない、といったところでしょうか。

これで何が困るかというと、例えば世間一般で共通の話題にしていいと思われている恋愛トークにおいて、同じ日本語を話しているのに全然わからない言語を話されている気分になり、疎外感を感じます。「恋愛をしていたほうが友人や家族関係とは異なる他者とのかかわりをもてているのだから、人間とともに支えあう素地ができているのだから優れているのだ」といわれているようで、自分が欠陥品なのでは?と思わされるし思ってしまうのです。こういうことが日常的に起こる度に、私は「普通からの暴力をうけたなあ」と感じています。

 

普通でないことの苦しさは、少数派になることで得られない権利が発生することだと思います。なにがしかの我慢をしたうえでさらに、選択肢の少ない中からどうにかしなくてはいけないのですから、冒頭に書いた発見のチャンスは狭まるリスクがあるし、縛りだってある。そのうえ多数派の常識を理解できない、あるいは理解できなくても共感するポーズをとらなくてはいけない。これも苦しさの一つではないでしょうか。

 

何が言いたいかというと、先に書いたような家庭環境や恋愛に対するスタンスは自分で選び取った結果ではなく、他者の影響が大きいと考えます。生まれた時から我が家は専業主夫家庭かつ収入は少なかったし、恋愛に対するスタンスは、望んでもないのに異性へのトラウマを抱えざるを得ない出来事が複数あり消極的にならざるを得ませんでした*5

あるポイントに対して普通をとるか、そうでない手段をとるかを選択するよりも前に、「他人のせいで」自分のスタンスが形成されてしまっていた場合、そこから抜け出すのはとても困難です。「スタンス:普通」の人が「スタンス:普通でない」を選ぶには矢花さんがブログで書いていたような「立つ」責任が生まれますが、「スタンス:普通でない」人が「スタンス:普通」になるために、他者によって形成されたものを壊すのもまた非常に骨の折れる作業だと思っています。立つ責任を持ちたくもないのに、どうにかして自分のアイデンティティ形成の中でなじませたりケンカさせたりする必要があるのです。

 

家庭環境に関しては、就活を経て自分で稼ぎを得るようになったこともありあまりきにならなくなりましたが、恋愛に関しては周りの状況が日に日にかわりますし、SNSで他人の近況が見えやすいことで、余計不安になるのかもしれません。おそらく、他者によって勝手に形成された「普通でない状態」を受容するには、他人が気にならなくなるくらい自己肯定感をあげるしかないんだろうなあと思っています。でも、じゃあどうやって?………手段を探る問いは延々と続きます。

 

これを読んでいるあなたは他者によって勝手に自分の中に形成されていた「スタンス:普通でない」を「スタンス:普通」にするために、それをどうやったら壊せると思いますか?あるいは、それも自分なのだと受容するにはどういった手段があるでしょうか。方法がたくさん見つかれば、ラクに生きられる人が増えるんじゃないかなあと思い問題提起します。

 

*1:厚生労働省 https://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/future2/chuukan_devided/saishu-sankou_part6.pdf 

*2:文部科学省 令和2年度 学校基本調査(意外とマジョリティってわけでもなく半分くらいなんだな…)

https://www.mext.go.jp/content/20200825-mxt_chousa01-1419591_8.pdf

*3:厚生労働省文部科学省調査をまとめたもの→ 図録▽就職内定率の推移(大卒) 

*4:男だからといって働かなくてはいけないわけでもないので、父親に対しては暴論を向けていたなと今となっては思う

*5:トラウマに関してはアドラー心理学(『嫌われる勇気』など)が有名ですが私にはハラオチせずなじみませんでした

トリミングの解

結論はないし、人と話してなんか違うなあと思ったらこそこそ書き換えるかもしれない。

 

■アイドルをどう受け取るか、切り取るか、発信するか

「アイドルに対する切り取り方の差異」というのは、特定の誰かに限ったことではなくそれぞれのアイドルにあることなのだけれど、今の担当に関してはその差異が顕著で、かつ他者の切り取り方に対して合わないと感じている人が多いように思う(この話は後述する)。

これまでの担当だった櫻井くんや相葉ちゃん、有岡くんに対して、フォロワーとここが素敵だね、あそこが素敵だねとキャッキャ話していた時よりも、今の私は少し気を遣って発言しているのは明らかだ。このように感じるのは私自身の変化も要素としてあると思っている。社会人という立場や年齢を気にしてることはもちろん、昨今の性差をとりまく意識改革にあわせて自分のこれまでの当たり前をスクラップアンドビルドする過程にいるので、すこしでも気を緩めると前時代的なわたしが顔を出す。それを防ぐために少々気を張ってつぶやくことは増えた。

あるいは、今応援しているグループを応援し始めたばかりのころにお話させていただいていた方に、次第に距離をとられた経験がある。理由を考えてみて行きついたのが「相手にとっての矢花黎像と彼に対するまなざし」を私は受け入れられたけれど、「私にとっての矢花黎像と彼に対するまなざし」は相手が受け入れ難かったということだった。私のつぶやきが他の方よりも違うことを言っているとか、やたら尖っているとかは自分ではわからなかったのだが、自覚できない要素…自分の言葉やネット上のふるまいに人を不快にさせる要素があるのだと自省せざるを得なくなった出来事だった。*1

と、このようにこれまで書いたようなことが重なって、アイドルに対する発言に少しだけ気を遣うようになった。同時に、少しだけタイムラインを俯瞰するような気持ちも持ち合わせるようになって「量産か否か」以外にも色々なオタクがいるなあと改めて思うようになった。そのうえで考えたいのが、担当に対する切り取り方やまなざしの差異が生まれる要因である。

 

■「矢花黎」とファンの受信・発信

矢花さんは不思議な人だ。Twitterでタグを作って双方向のやりとりを図ろうとしたり、ブログに自分の脳みそをひろげて、それに対するファンの考えや感想を求めて何かを得ようとしている。また、我々ファンの描く各々の「矢花黎像」と彼の認知している自己との乖離を埋めようとしている。こんなにも人間である自分を表に出すアイドルはこれまでにみたことがない。彼のアイドルとしての営みはもはや壮大な実験であり、痛みを伴うもののように思えてならない。そして、彼から発信された内容にどのように反応しているかに関わらず、ファンはすでに実験に巻き込まれている。

アイドルを好きな人、応援する人ひとりひとりに個性があるのだからカテゴライズするのも失礼な話かもしれないが、「矢花担」に関しては他のアイドルよりも細かく分類したうえで同じ所に属する者同士でも、各々の「矢花黎像」に乖離があった場合に互いを受け入れられないケースが多いのでは?と感じる。これは何かの統計を取ったわけではなく、感覚的なものにすぎないが。

「バンドマンの彼が好き」/「アイドルの彼が好き」

(「元々バンドが好き」/「元々ジャニーズが好き」も近い)

「彼の発信に見える形で返事をする」/「見える形で返事をしない(すべきでない)」

「リア恋としてみる」/「リア恋としてみない」

「アイドルと対等にいようとする」/「アイドルとファンは対等ではない」

「結果を出すために数と金で応援をする」/「数と金にまかせたムーブメントには賛成しかねる」

「彼(ら)をおもしろコンテンツとして取り扱う」/「取り扱わない」等々…

じっくり考えればまだまだ色々ある気がする。1、2点目以外は比較的他のアイドルに対しても言えるような気がするけれども。

こういった「応援や受発信のスタンス」である程度棲み分けをしたうえで、矢花さんの発信にファンが表立って反応する場合、次に問題になるのは「行動の結果表出するものの内容(ブログの感想文等)」だろう。応援するスタンスはある程度同じ方向性の人間を見つけられても、個人としての生い立ち、背景が異なる以上は表出する内容まで方向性があうわけもない。所詮ネットがなければ出会っていない者同士、顔を合わせて話をしたこともなければ尚更、「リア友」との同じようなやり取りよりも受け取った文字列に対して抱く感情は希薄になり温度感は低くなる。

彼の発信に対して、彼の意図する思考のやりとりをしようとするとき、他人との「矢花黎像」「まなざし方」の違いが可視化される。つまり、彼が自己とアイドル像の乖離を埋めようと発信することで、色々な人間の思考が表舞台に引っ張り出され、それが(応援のスタンスによっては)ファン同士で受け入れがたいものになることもある。他の人を応援していれば表に出す必要がなかった要素さえ、陽のもとにさらさなくてはいけないケースもあり、スタンスだけではない根本的な人としての違いが可視化されてしまう。

双方向性のあるやり取りの中でファン側の打ち返しによって生まれるものは様々だが、彼の場合は他のタレントとやりとりした時の”それ”よりも機会が多く、ひとそのものをむき出しにした結果であることが多い。私たちはサンプルを差し出すのか、否か。サンプルの取り扱いを見守ることが苦しくないか。他者のサンプルを受け入れられるのか。彼の要望(意見・意志を表に出していこうとファンに促すさま)に応えようとすると生まれる可能性がある不和がそこに横たわっている気がして、少しだけ表出におじげづく自分もいる。

とはいえ私は、矢花さんがくれる機会を使って思考を少しずつ表出させながらも、他人の思考や視点に触れて世界が広がるのを感じる。それを「おもしろい」と思っているがゆえに、より深く思考して苦しんでいる人たちや他人の思考に触れて疲れている人たちを見ると何とも言えない気持ちになる。他人の思考や視点に正解も不正解もないから、ああ君はそうやってトリミングしたのね、素敵ね、という気持ちでいることで自分を保っている。ネットのノリで面白がる勇気もなければ、哲学的に深く深く掘り下げる気合もない私は、結局どっちつかずでいて、俯瞰している「ふう」を装っているのだ。もしかしたらとてもずるいのかもしれないが。

言葉は劇薬。ゆえに思想のサンプルが散らばったタイムラインも劇薬だらけの棚である。思想の深淵にのまれないように、その見えている池に身投げだけはしないようにしながら、様々にちらばる劇薬ともうまく付き合えるスタンスでいるというのが私なりの解かな、と秋の夜に思考を巡らせるのだった。

*1:この件のようにネットの友人との距離の詰め方が下手な自覚はあるし(急に距離詰めがち)、先程の話を持ち出しているのも良く感じない人がいるだろうから、お前そういうとこだぞwwwと思われていそうでややビクビクしながらこの話を書いている…(念のため言っておくと攻撃の意図はなく、読者の方が飲み込みやすいように説明的にこの話を持ち出しているにすぎないし、発言する時に少しだけ内省するクセがついたのはこの方のおかげなので感謝している部分が大きい)