とけないこおり

好きなものへの気持ちを素直に

#異担侍日報侍ふ vol.54_220427 をうけて

 

私は「商業的な音楽も芸術だと思う」けれど「売れるための音楽は本当にやりたいことじゃないことも大いにあるよね」という意見です。芸術はいろんな目的を内包していて、その目的を一直線に狙った音楽と、目的に向かって進むために置くポイントみたいな音楽がこの世の中にはあるんじゃないかなと。いくら売れるためという目的であっても、いざ表舞台に引っ張り出されるときに表出しているのは売れたいという自分の感情・目的なわけだから、結局その人自身の(あるいは会社やレーベルの描くそのアーティスト像としての)判断なんじゃないかなと考えます。

ただ、人間難しいもので「好き勝手やりたい」し「認められたい」って思っている人が大半だと思うんです。感情や思考をわざわざ作品にして発信する芸術家は尚更その傾向が強いと思います。自己実現と承認欲求のバランスはとてももろい。好き勝手やっていても評価が伴わないとモチベーションは下がるし、評価されても自分が本当にやりたいことではないと息苦しさを覚えるでしょう。自分のやりたいことがすぐに今認められるとも限りません。どれだけの芸術家が没後に大きく評価されるようになったかって話ですしね。やる気の永久機関というのはこの世に存在しないので、バランスをとるために両方ともに手を出すのが、もしかしたら精神衛生上いいのかもしれません。

 

以下は売れるためのというより、売れてからの音楽の話かもしれませんが、浮かんだ話が2つほどあったので書きますね。

私は、商業的すぎる曲は元からのファンをげんなりさせるものだと思っています。私が言う商業的すぎる曲というのは、タイアップ先の商品や物語ありきで、その世界観をなぞりすぎてそれ以外の物語を読み取れないもの、余白があまりにも狭められた曲を指します。こういった曲が次から次へと出されると、元から見てきたアーティスト”らしさ”が欠けている気がしてきてしまって、受け取る側のファンの消費も味わうより雑にのみこむ感じになる。出せば買うんだろって思われているんじゃないかと勝手に受け取ってしまい心が離れる原因になると思うんです。

ただタイアップの曲はすべて悪いと言いたいのではなくて、商品や物語と切り離されても独立した世界や物語を作れる曲、それが意図された曲もこの世には沢山あり、そういった作品は素敵だなと思っています。最近だと『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』主題歌の『クロノスタシスBUMP OF CHICKEN)』が特にそうでした。

note.com

私はコナンもBUMPも詳しくはないし、この記事は楽曲の細かい考察が目的ではないからそれはそれぞれのファンの方に預けるとして、記事内にもでてくる作り手・藤原基央さんのこの発言が刺さったんですね。

僕は僕の曲の書き方しか知らないし、僕の言葉しか書けないんだよね。僕の知っている感情、知っている現象しか書けないので。よくファンレターで、『あそこの部分のあの歌詞はあのキャラクターのこういう気持ちを表しているんですよね』みたいなこと言われるんだけど、それは本当に困ってしまいます。そう思ってくれるのは君の勝手だけど、重なるところを抽出しただけで、僕の心情だし。なんか、……わかりますかね?

出典:『MUSICA』2015年5月号、p.31

我々受け手は自分が理解しやすい範疇にまで歌詞を引き寄せて解釈しているのでタイアップ先の題材に積極的に重ねて楽曲を見てしまうけれど、当然作詞者の意図の軸がそこにないこともある。タイアップだからといってすべての作品が商材の世界をなぞってるわけではないんだな、と…。当たり前かもしれないけれど作り手が明言してくれているテキストってあまり見ないので、すごいハッとしたんですよね。私は『クロノスタシス』を映画館ではじめて聴いたので、はじめこそ映画の登場人物を思い浮かべながら聞いていましたが、MVや曲の歌詞そのものを読むうちに映画が介在しない世界の人間が聞いても反芻できる楽曲だなと思ったんです。

 

あと、矢花くんのブログを読んでいてサカナクションのあるエピソードも頭によぎったのでそれも触れさせてください。

https://www.tfm.co.jp/lock/sakana/index.php?itemid=1896&catid=17

(2014.1.9 School of Rockのブログより)

文中で語られているように、ギターボーカルの山口一郎さんは求められた曲(私はこれを”商業的な曲”だと受け取りました)を書くことに慣れすぎていて、結果として音楽が作れなくなるところまで追いつめられたわけですが、その時に本人を窮地から救っているのもまた音楽、それも作りたい曲だったと。

 

どちらのエピソードも、商業的な音楽と作りたい音楽の間にいる作り手の心情が垣間見えて考えさせられる内容だなと思っています。

自分も短歌を詠んでいるので表現者の端くれ。ついいいねやRTの数が気になることも多いけれど、共感や理解をしてもらうことがすべてではないし、自分にしかわからない領域を表現して、そこに共感がなくてもアウトプットしたことに意味がある作品もあるのと信じています。

自分のある領域から内側は理解されなくてもいいわ、という気高さ、プライドみたいなものと上手に付き合いながら世の中の波を泳いで行けたらいいよねえなどと思う矢花くんのブログでした。

 

ちなみに菅田くん表記、あまり気にせずサラッと読んじゃったな~。こういう細かいところ1回で気づくファンの人多いから毎回すごいなって思う笑