とけないこおり

好きなものへの気持ちを素直に

#異担侍日報侍ふ vol.23_210922 をうけて

 

私はらじらーにメールを送らなかった。

理由はいろいろある たとえば

「どうせ誰かがプッシュしたい子が表に出るんだろうし、送ったところで意味ないでしょ(普段聞いてないからどの程度本気の企画かわかっていなかったこともある)」という諦め

「私より他のひとのほうが熱量もった文章を書いてるよね」という比較 等。

仕事で忙しいから…と時間的リソースがないことを言い訳にしたのではなく、私は自分自身の頭の中でそういう会話をして、行動を起こさない選択をした。

 

これはまた種類が違う話だが…昨日だって中秋の名月だということは知っていたけれど、Twitterの中にある月の写真こそ見たけれど、どうせ曇っているだろうとか何かしら理由をつけて窓の外を見やることもしなかった。

 

起こしてよかったと思ってもらえるような行動

あなたが起こしたような生活の中での行動

そういったものがここ数日自分自身の行動と重なることがなかった。

 

読者の方の誤解をうまないためにひとつ綴っておくけれども、私は「感謝されなくて悲しい」「同じ行動をとれなくて悲しい」という感情を持ったわけではなかった。前者のような見返りは求めるものではないと常日頃思って応援しているし*1、彼と自分とはまったく異なる感性の人間だというのは随分前から感じていることなので違ったところでいつものことである。じゃあ何でこんな気持ちになっているんだと自問自答しても、なんにも出てこない。

形容詞ひとつでは言い切れないことがないまぜになっているのだから、「なんて言ったらいいかわからない」感情に無理やり名前を付ける必要もない。ただ少なくとも、ここ数日の一連の流れ(特に、らじらーで7MEN侍が取り上げられたこと、矢花さんがレスポンスとしてDash!!!をいち早く投稿したこと)の反動で、ろうそくにぽうっと火が灯ったような気持ちになっているのは確かだった。メラメラとした炎でもなく、パチパチとした焚火でもないけれど、はっきりとそこにある灯だ。

それは冒頭に書いた「諦めという感情を持った私」のケツをたたくには十分なものだった。やってみないと分からないって、いつも7MEN侍が教えてくれてることじゃない。当の本人たちがあれだけ発信してくれてるのに、次につなげようってもがいているのになんで受け取り手の私が勝手に諦めてるんだよ。まだはじまったばかりでしょうが。火がついた私はまっさらなハガキを手に取っていた。最近はじめたハガキ送付。これまではやったことなかったけれど、サマステ後の7MEN侍のブログの言葉に触れた後、Twitterの #セブンメンハガキ タグをみて、これならできそうだと思ってはじめた援護射撃。描いてみたら意外と楽しくて、無理のない、送りたい範囲で送っている。今回だって、今からだって遅くないはずだ。

 

そして、私は私の好きを全力で叫ぼうとも思った。それが他の人と比べて上手とか下手とかどうでもよくて「7MEN侍のことが好きって言ってる人たちっていつも楽しそうだね、幸せそうだね」って思ってもらえるような、そんな伝播の根源でありたいという感情である。

これは、矢花さんもブログに書いていたような第3者への配慮にもつながる話だと思っているのだが、この世の中にはたくさんのノイズにあふれている。何のうまみにもならないノイズが。特にネットなんて最たるものだろう。見たくない話題、縁起でもないサジェスト、他のグループの動向…。きれいな気持ちだけで立ち向かおうとすると心が折れそうになったり、心がどす黒いものにまみれて配慮できない”あちら側”に行きそうになったり、ということはしばしばある。悲しいことに「幸せになって欲しいから*2」目の前の好きより他へのヘイトを叫びたくなることがあるのだ。でも、そんなの結局他人にとってのノイズになり下がるだけである。どうせなら7MEN侍を全く知らない人にとっても気に留めてもらえるような、耳を傾けたくなる音のような存在であったほうが得なこと、快なことは多いだろう。7MEN侍というムーブメントに似合わないことはしたくないもの。このような「ある意味当たり前だけれど実践が非常に難しいこと」をぐるぐる頭の中で考えては、自戒であり教訓でありケツイのようなものを矜持として一つ心の片隅にかざった。

 

 

援護射撃、追い風、サポート、縁の下の力持ち、アシスト、後ろ盾、助太刀

この世の中にはファンを「チームメイト」たらしめてくれる言葉が沢山ある。

私はあなた方を消費してばかりで、与えられていることがあるとはとても思えない。でも明日をもっと楽しくいきたいから、今この瞬間を楽しくさせてくれているあなた方がもっと新しい場所に行けるように、力添え出来たらなと思っている。

おこがましいのは重々承知の上。私も、ムーブメント・7MEN侍の動力でありたい。

 

 

さいごに

これはオタクが頑張らねばならないとかそういうことを言いたいがためのブログではない。「せねばならない」圧力とは恐ろしく、好きの感情を食い物にして義務感とか疲労を生み出し、オタクを頑張れなくさせるからだ。頑張れないことは罪ではないのに、頑張れない自分が嫌で、好きだった対象から気持ちが離れていくという悲しいケースもある。趣味なのだから、自分が楽しめる範囲で応援すればいいというのが私のスタンスであり、それを今後変えるつもりもない。

でも、7MEN侍のこと応援していて楽しい瞬間とか、ああしてよかったこうしてよかったって瞬間はとにかく沢山ある。このグループのファンやってて、悔しいと思ったことがないとは言わないけれど、自慢のグループ!最高!私って幸せ者!って周囲に言ってまわりたいことは毎日のようにあるのだ。せねばならないのではなく、したいからする。心にともったろうそくの灯は紛れもなく「応援したい」という無理のないまっすぐな感情だから、その灯りが導いてくれる方に今はゆっくり歩いていこうと思う。

*1:感謝されて嬉しい、と喜ぶのはいいけれどそれがいずれ大きな結果や感謝の強要とかになるとよくないよね、というはなし

*2:当の本人たちを不在にしてオタクのエゴがとても強いけれど、ひとつにはデビューやそこに向かっていく動きを指す表現が行きつく先に”幸せ”という言葉があると理解している