#異担侍日報侍ふ vol.23_210922 をうけて
私はらじらーにメールを送らなかった。
理由はいろいろある たとえば
「どうせ誰かがプッシュしたい子が表に出るんだろうし、送ったところで意味ないでしょ(普段聞いてないからどの程度本気の企画かわかっていなかったこともある)」という諦め
「私より他のひとのほうが熱量もった文章を書いてるよね」という比較 等。
仕事で忙しいから…と時間的リソースがないことを言い訳にしたのではなく、私は自分自身の頭の中でそういう会話をして、行動を起こさない選択をした。
これはまた種類が違う話だが…昨日だって中秋の名月だということは知っていたけれど、Twitterの中にある月の写真こそ見たけれど、どうせ曇っているだろうとか何かしら理由をつけて窓の外を見やることもしなかった。
起こしてよかったと思ってもらえるような行動
あなたが起こしたような生活の中での行動
そういったものがここ数日自分自身の行動と重なることがなかった。
読者の方の誤解をうまないためにひとつ綴っておくけれども、私は「感謝されなくて悲しい」「同じ行動をとれなくて悲しい」という感情を持ったわけではなかった。前者のような見返りは求めるものではないと常日頃思って応援しているし*1、彼と自分とはまったく異なる感性の人間だというのは随分前から感じていることなので違ったところでいつものことである。じゃあ何でこんな気持ちになっているんだと自問自答しても、なんにも出てこない。
形容詞ひとつでは言い切れないことがないまぜになっているのだから、「なんて言ったらいいかわからない」感情に無理やり名前を付ける必要もない。ただ少なくとも、ここ数日の一連の流れ(特に、らじらーで7MEN侍が取り上げられたこと、矢花さんがレスポンスとしてDash!!!をいち早く投稿したこと)の反動で、ろうそくにぽうっと火が灯ったような気持ちになっているのは確かだった。メラメラとした炎でもなく、パチパチとした焚火でもないけれど、はっきりとそこにある灯だ。
それは冒頭に書いた「諦めという感情を持った私」のケツをたたくには十分なものだった。やってみないと分からないって、いつも7MEN侍が教えてくれてることじゃない。当の本人たちがあれだけ発信してくれてるのに、次につなげようってもがいているのになんで受け取り手の私が勝手に諦めてるんだよ。まだはじまったばかりでしょうが。火がついた私はまっさらなハガキを手に取っていた。最近はじめたハガキ送付。これまではやったことなかったけれど、サマステ後の7MEN侍のブログの言葉に触れた後、Twitterの #セブンメンハガキ タグをみて、これならできそうだと思ってはじめた援護射撃。描いてみたら意外と楽しくて、無理のない、送りたい範囲で送っている。今回だって、今からだって遅くないはずだ。
そして、私は私の好きを全力で叫ぼうとも思った。それが他の人と比べて上手とか下手とかどうでもよくて「7MEN侍のことが好きって言ってる人たちっていつも楽しそうだね、幸せそうだね」って思ってもらえるような、そんな伝播の根源でありたいという感情である。
これは、矢花さんもブログに書いていたような第3者への配慮にもつながる話だと思っているのだが、この世の中にはたくさんのノイズにあふれている。何のうまみにもならないノイズが。特にネットなんて最たるものだろう。見たくない話題、縁起でもないサジェスト、他のグループの動向…。きれいな気持ちだけで立ち向かおうとすると心が折れそうになったり、心がどす黒いものにまみれて配慮できない”あちら側”に行きそうになったり、ということはしばしばある。悲しいことに「幸せになって欲しいから*2」目の前の好きより他へのヘイトを叫びたくなることがあるのだ。でも、そんなの結局他人にとってのノイズになり下がるだけである。どうせなら7MEN侍を全く知らない人にとっても気に留めてもらえるような、耳を傾けたくなる音のような存在であったほうが得なこと、快なことは多いだろう。7MEN侍というムーブメントに似合わないことはしたくないもの。このような「ある意味当たり前だけれど実践が非常に難しいこと」をぐるぐる頭の中で考えては、自戒であり教訓でありケツイのようなものを矜持として一つ心の片隅にかざった。
援護射撃、追い風、サポート、縁の下の力持ち、アシスト、後ろ盾、助太刀
この世の中にはファンを「チームメイト」たらしめてくれる言葉が沢山ある。
私はあなた方を消費してばかりで、与えられていることがあるとはとても思えない。でも明日をもっと楽しくいきたいから、今この瞬間を楽しくさせてくれているあなた方がもっと新しい場所に行けるように、力添え出来たらなと思っている。
おこがましいのは重々承知の上。私も、ムーブメント・7MEN侍の動力でありたい。
さいごに
これはオタクが頑張らねばならないとかそういうことを言いたいがためのブログではない。「せねばならない」圧力とは恐ろしく、好きの感情を食い物にして義務感とか疲労を生み出し、オタクを頑張れなくさせるからだ。頑張れないことは罪ではないのに、頑張れない自分が嫌で、好きだった対象から気持ちが離れていくという悲しいケースもある。趣味なのだから、自分が楽しめる範囲で応援すればいいというのが私のスタンスであり、それを今後変えるつもりもない。
でも、7MEN侍のこと応援していて楽しい瞬間とか、ああしてよかったこうしてよかったって瞬間はとにかく沢山ある。このグループのファンやってて、悔しいと思ったことがないとは言わないけれど、自慢のグループ!最高!私って幸せ者!って周囲に言ってまわりたいことは毎日のようにあるのだ。せねばならないのではなく、したいからする。心にともったろうそくの灯は紛れもなく「応援したい」という無理のないまっすぐな感情だから、その灯りが導いてくれる方に今はゆっくり歩いていこうと思う。
《J31gate第20回 テーマ『色』》短歌メモ
発行おめでとうございます。
第11回から参加させていただいているこの企画ですが、今回は第20回というキリのいい数字!普段同時に掲載されるアイドル名が今回は伏せられているというのも面白いですね。そういうわけなので、ここからは拙作について誰を何を思って読んだのかネタばらしと解説です。
103で色の三原色、104で光の三原色をイメージしています。
↓
103:白で塗る 常識が覆いかぶされどなお白で塗る思考のシンカ
私が「メンカラ白」を詠む時点でばれてしまっている気もしますが…
彼は自分の思考をブログに沢山書いてくださるので、最近の短歌はそこから膨らませて作ることが多いです。今回は8月4日のブログから、テーマにあわせて彼のメンバーカラーを詠みこみました。
「常識だと思っていたこと」がそうではないと受け止め始めた世間。常にアップデートが必要な現代。そんな時代の流れにあって、彼は受け手の感想を求め、自身の世界を拡げてもらうことを求めています。
色の三原色、絵の具の「白」は不可逆的存在で、少しでも何か混ざろうものなら、もう元の真っ白には戻れません。白い絵の具に、彼の成長してきた環境やそばにいた人が影響を与えることで「彼だけの白色」ができています。もちろん、安全策としての常識が足かせになったり白のバランスを崩すこともあります。そんなとき、時点時点で彼自身が自分の思考を進化/深化/新化etc…させる=白色を上から塗ることで、彼は他の色を受容しつつも彼だけの白色を更新しているのではないかな、と思い詠んだ歌になります。もちろん、受け手である私たちの表現や発信も受容の対象に含まれていると考えます。(「他の色をなかったことにしない」という観点で、あえて混ざりけのある白になる絵の具を題材としました)
イメージしたのは、7MEN侍の矢花黎さんでした。
104:人となり・雰囲気などを数値化し詰め込んでみたRGB
色をテーマにした時に、「特定の人を詠まない短歌」にはカラーコード(#と6桁の英数字であらわされるアレです)かRGBをキーワードとしたいなと考えていました。結果的にメンバーカラーについて詠む短歌になっていましたね(RGBのルビに「メンバーカラー」とふるか迷ったのですが、この31文字でメンバーカラーの説明になるなあと思いそのままにしました)。こちらは103の短歌と異なり光の三原色をテーマとしています。
他の色の表現法としてCMYKがありますが、こちらはインクによる光の吸収による表現になります。調べたところ人間の目にはRGBのほうがより鮮やかに写りこむとのことだったので、「ペンライトの光に囲まれ、TV画面、タブレットで見る電子書籍の向こう側にいるキラキラとした彼ら」を表現するにはRGBで詠みたいな、と思いこのような歌になりました。カラーコード短歌、やりたくなっちゃったな。
今回は読者の想像力も試される、興味のあるグループ以外の短歌も目に触れるという意味で、色々な作品をきちんと咀嚼できる素敵な機会でした。次回以降も楽しみにしております(表現の引き出しを増やすぞ~…🔥)
モボ朗読劇 怪人二十面相 観劇メモ・感想
※久方ぶりにビール(水曜日のネコ)を飲んでいるので支離滅裂だったらごめんなさい
※最後のほうとか大分迷子。
※極力まっさらな状態、自分の思いに素直なまま書きたいので6/30矢花さんのブログは未読の状態で書いた。思考の整理のためにフォロワーさんと議論することは少しだけおこなった。
本記事は6月下旬に品川・ステラボールで催された標記朗読劇について、観劇しての疑問点、それに対する個人的な考えや要素をまとめておくものである。なのでひどくまとまりがない。
私は普段本を読まない。読書せねばと思うものの習慣がない。読書で没入する感覚は小学生くらいにおいてきてしまった。だが大人になって…社会人になって周りを眺めていると、お勉強ができることももちろん大切だが、教養のある人というのがとても魅力的に映るようになった。自分に教養がないと感じるからである。
そんな人間が書くことなので、薄っぺらいかもしれないし、ありのままをうけとめただけになるのかもしれないのだが、それが私の感じた二十面相のひとつなんだと思うことにする。そしてこの劇は、人が見て感じたことやこういったアウトプットの違いに対して人が何を思うのかさえも問うている気がする。(そして矢花さんのブログ、面はいくつあるのか、という話に戻る…)
【脚本について】
てっきり原作の一つをなぞっていくような舞台だと思っていたが、抜粋にサンプリングに抄録に、あらゆる表現で引用に類することが行われていた。おそらくこれは脚本家の鈴木さんが表現したい明智/二十面相(/小林)のキャラクター像のあぶりだしであり、文学の論文の一部を読んでいるような…朗読劇スタイルで意見を述べているようなそんな感覚である。(本を読まない人間の私は、ここで少し安心した)
演者にはそれぞれの2つの役があてがわれている。「アマチュア推理作家/明智小五郎」「推理小説ファン/小林少年」「文芸評論家/江戸川乱歩」「江戸川乱歩研究家/怪人二十面相」……劇中は役を行ったり来たりしていて、とくに前者の役を演じているシーンについては読書会を覗いているような気持ちになった。
【冒頭のセリフに関する考察】
男が「明智は二十面相で、二十面相は明智」とつぶやきながら登場する。そのあとこのようなセリフがある(要約)。
「あの男はあなたであり私であり、彼であり彼女であり、誰かであって誰でもない。それは電子が粒子であると同時に波動であることを思い起こさせる。あの男は永遠に瞬間を生き続けるのである」
前半部分はなんとなくわかるような気がする。ひとりのなかにある複数の顔。あるいはまったく違う人間同士でも(それが嫌いあう人同士であったとしても)本質的に似てしまっているようなこと。陰陽のバランス。中庸。この世の中にある「バランス」と「二面性」のさまざまと捉えた。ただ電子、粒子、波動ってなんだ???
こういう時は文明の利器、仮想空間にある偉大な英知に頼るに限る。「電子 粒子 波」とGoogle検索をかけると、「電子を細かく見ていくと粒子なのか波動なのかという議論がずっとなされてきた」という話がでてきた。なるほど物理化学か(履修していない)。
「電子だけでなく,いままで粒子であると思っていた物質は一般に波動としての性質を持っている。そのような波動を物質波という。物質波の波長が十分短ければ,粒子と見なして差し支えない。この物質波の考え方は,光量子の裏返しとして, 1923年に de Broglie によって提唱された」
だからこれも…粒子と波動の関係性も前段と同様対立ようにみえて実は近しいところにあるものどうしだった、という話の一例としてあげているのだととらえた。
【2つの「別れの歌」「練習曲作品10-3 (ショパン)」】
二十面相をメインに演じる栗原さんと、明智をメインに演じる矢花さんが同じ曲を歌う。前者は情感たっぷりに、後者は低音と高音を交互に響かせる点が印象的。
・なぜ「別れの曲」なのか
「別れの曲」は映画の邦題から呼ばれている通称で、元々はただの練習曲番号がタイトルである。単純に数々の面との「別れ」あるいは、どこにいったか分からない本来の自分との「別れ」のイメージで使用したのか、映画「別れの曲」からなにかインスパイアされたのか。ここは考察が深めきれていない。
・なぜ歌い方が違うのか?(複数の「面」を表現する歌ならばどちらも同じ歌い方になるのでは)
1回目の二十面相の歌を聞くと「己の顔さえ忘れて」に非常に重みを置いて歌っていたように感じられた。私はこの時の曲は「変装していないむき出しの二十面相としての胸中」と感じた。あるいは「変装に疲れた二十面相」。
2回目の明智の歌は高音と低音の往来がとにかく激しいのが印象に残る。演者本人もそんな二面性を楽しんで歌っているように感じられた(高音の時は特に意識的に小指を立てている。低音の時もたっていたので深読みのし過ぎ、本人のクセかもしれないが…)。明智は複数の顔を持つこと、変装することに疲れを感じていない、面白がっていられる、という表現とうけとった。
【死のイメージについて】
前半に明智は怪人二十面相にむかって「お前のことをピストルで撃てる」と言っておきながら(そのうえ二十面相が人を殺さないのには感心する、自分だったらできるかどうか…とも語っている)、後半の二十面相との対峙のシーンでは「明智は「死」のイメージを排除している、それが自分との違いだ」と二十面相に言われている。そのうえ明智は火薬からは逃げる。これはどういうことなのか?
まず考えられるのは前半の話(人を殺せる明智)がただの虚勢であるということ。あるいは「死」のイメージの排除とともに「自分の生」に対する執着がものすごく強いのではないかということ。そして、仮に【冒頭のセリフに関する考察】でも書いたように2人の存在が陰陽の関係であるとするならば、片方が消えてしまえばもう一つは存在しえないということであるから、「自分の生」に対する執着が強い明智は、陰陽の片割れである二十面相を殺せないことになる。
【奥の手って結局何?】
明智はこのようなことを舞台中発している。
「二十面相に奥の手があるなら僕にもそれに劣らぬ奥の手がある」
単純に舞台上の表現を受け取れば、二十面相の「奥の手」はあらゆるからくりや仕掛けを使うことで、明智の「奥の手」は後半にでてくる影武者、すり替えのことなのか?と思うが、それ以上の何かがあるのではないかと思う。
最後のシーンで二十面相は火薬を使い、「死」を選んだととれる表現がなされている。二十面相の奥の手とは、常に「死」をイメージし、「死」へ飛び込む勇気があることなのか?(あらゆる変装の手段のうちの一つを捨てる勇気)
逆に明智の奥の手は先程から執着あると感じている「生」が奥の手なのだろうか?(あらゆる変装の手段を使って永らえてやるという意地、意志)
【冒頭と最後のセリフ】
非常に似たセリフが冒頭と最後に出てきて、演劇全体を挟み込んでいる。冒頭では遠藤平吉、最後には明智小五郎の名前が登場するが、それ以外の部分は同じセリフ。このシーンの矢花さんは一体だれを演じているのか。
劇中に矢花さんだけでなくあらゆる演者が二十面相を演じるため、冒頭・最後のシーンの発言者が明智である可能性も二十面相である可能性も十分に考えられる。以下の表のように。
どれが正しいとかはないと思っているのだけれど、それぞれのパターンで登場人物の状況がどのように描き出されるのか、個人的な考えを記しておく。
①が一番スタンダードなとらえ方だと思っていて、私自身最初は発言者の組み合わせはここだろうとおもった。明智は二十面相に、二十面相は明智に対して、お互いがいなくてはあらゆることが成り立たなくなる、遠くて一番近しい存在と考えている、そんな思いの表出ととれる。
②の場合は発言者が両方とも明智になるが、冒頭はライバルである二十面相に対する問いかけ、最後はそのライバルが「死」という奥の手を使ったあとの独白になる。最後に関しては陰陽の片割れを失った明智が、片割れである自分自身の自我を保とうとして発している言葉に思えてくる。
③だとすると冒頭が二十面相自身の自己紹介になり、のちの別れの歌で「己の顔さえ忘れて」いる二十面相がより強く浮き出るように思う。①と③のパターンの場合、最後が二十面相の独白になるから、途端に前段で「死」を選んだようにみえた二十面相が「生きているかもしれない」状態が示唆されて、「明智が片割れだけになってしまった」という虚無感よりかは「自分の生に執着のある明智が存在するのに必要な片割れがいる」安心感が訪れる。
④のパターンだと、発言者が話の主語になる。二十面相は自己紹介によって明智に対して宣戦布告をしているようにとれるのに、明智はそうではなくて、二十面相の「死」の表現の後だからかとにかく不安定さや喪失感が際立つのは私の気のせいだろか。
最後の笑いにフォーカスをあてれば、①③は死んだように装ってみせた二十面相の勝ち誇った笑いであり、②④は片割れを失った明智がバランスを崩した結果の狂いではないかと考える。
【「最大の敵は最高の理解者」というワード】
SPOTムービーにもあったこのワードの意味するところは?
つまるところ自分自身が甘くも厳しくもなれる最大の敵であって自分が自分のこと一番よくわかってるよねという話にもとれるし、対立しているような近しい人(ライバル)が自分の写し鏡のようなものなのだから、しっかりと向き合うべきなのだ、という話にもとれる。自己実現の話?
【誰かであって誰でもない】【読書とは】
冒頭の明智のソロの歌詞に出てくるこの言葉。そして、舞台終盤に語られる読書についての表現「いずれにせよ読者がいる限り 明智も二十面相も永遠に瞬間を生き続ける。…乱歩の手を離れ 明智も二十面相も、個々の読者が新たに生み出す…読書とはそういう作業なのである」
あの舞台を見た人間の数だけ、脚本についても、登場人物そのものについても、舞台上のあらゆる表現についてもすこしずつ異なる解釈が生まれている。そのどれもが自分にはない視点を含んでいるから、読書会のように感想が語られているさまをみるのは大変興味深い(だからこそ極力まっさらでいたくて、この記事を書くにあたり他人の影響を受けないよう努力はした)。だからこそ「解釈」そのものこそ、個々が新たに生み出した登場人物の余生たる「瞬間」なのだと思う。
余談;個人的にはこれを読書ではなく、主演の矢花さんの本業であるアイドル活動に置き換えた時にも当てはまるような気がしている。なにかのパフォーマンスをしたとき、それぞれのファンがあらゆるツールを用いて表現するけれども、そのどれもがその瞬間を生きていた矢花さんであって、一方でそのどれもが本当の矢花さんではない、というように。
⇒それは果たして矢花さんなのか?そして決定的に違うのは彼が本の中の登場人物ではなく、現実世界の人間として存在するということ。各々のファンの中で瞬間を生き続ける矢花黎と、本人の表現した一番自分に近い矢花黎には乖離が少なからず生まれるわけで。先日のブログではこれを防ぎたいって話をしていたのか…?整理はできていない
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今回はあくまでもセリフや発言に重きを置いて、自分の中で考えを深めたいところを記していったのだけれど、朗読劇ゆえにシンプルな舞台ながらも、照明による演出、場面転換、なによりも音による空間づくりに圧倒されました。見たことのない楽器。何を表現したくてどのような音を求め、何を用いたのか。演者の声のサンプリングを用いた頭がイカれそうなあの時間も麻薬のようで最高でした。
演者の皆様4名だけでなく、朗読・歌唱による「発声」以外の音を作りこまれていた大嶋さん、あさいさんのお二方、照明、衣装等の舞台スタッフをはじめとした劇場スタッフのみなさまへの敬意をこめて、駄文ではありますがしたためました。今後もゆっくり咀嚼しながら、しばらくの間は生活の中で劇中歌を脳内再生して過ごすのだと思います。私の中で、彼らの瞬間を生き続けさせるために。
#異担侍日報侍ふ vol.7_210602 感想
もう次の更新日なのに先週の話をその日の朝の通勤電車で書きはじめているよ笑
今回の話は割と考えやすかったし、自分にも思い当たるところがあったから割とさっくり書けそう〜♪とか思ってたらこれですよ。スケジュール能力がない。まあそれはおいといて。
矢花黎という人間がアイドル(ジャニーズ)としてのあり方を模索していた時期に、「これだ」と決断をくださなかった結果が今となっていることが、所属グループである7MEN侍のオタクとしては胸に来るものがありまして。
それこそ2つ前のブログに書いたけどなんとなくこれに近い話かなって。
「成功/失敗だと思える状況」とさきほどからしつこく書いているのは、時点が変われば見方が変わるからだ。(中略)(努力は)数年後数十年後の自分が、過去に戻れたらと絶望することがないように、現在地の自分から未来に向かって届けられるささやかな贈り物のようなものだと思っている。
その時その時の100点満点を出すんじゃなくて、あとから振り返ったときに80点取れていれば御の字だよね〜という感覚。
せっかくだし文中の努力について補足すると…私は大学受験で報われなかった経験があるので「努力は必ず報われる」なんて1ミリたりとも思っていません。この努力はあくまでも「正しい方向性の努力」。あとから蓋を開けないと正解はわからないので、勝ち組の言葉だなあと斜に構えて受け取っています。
ただ、「努力は必ず報われるわけじゃないけど、不安を消すには努力しかないよな」「成功してる人はみんな努力してるし、努力しないと土俵にも上がらせて貰えないよな」とは強く思っています。
運命って未だによくわからないけれど、「努力や本人の日々の行動が少しずつ作用して形作られていく結果論」なのかもしれないな。
わ、そんなこんなで次の更新の5分前になっちゃったよ。今週も楽しい水曜の夜がやってくる。
(7MEN侍を好きになったのは運命かな、宿命かな。偶然かな、必然かな。)
#異担侍日報侍ふ (矢花さん)vol.6_210526 感想
このブログ、矢花さんのブログに対する感想をしたためるブログになりつつあるのでは…(まだ2回目だけど)矢花さんのおかげで定期的に頭の、思考のストレッチができてよい。面白い人だ。すきだ!
相変わらずダラダラ書いてるので論点ずれあるだろうし話もとんでいる。読みにくくてゴメンネ。
■SNSと仮面の話
私の仮面って何枚あるんだろう。
現実世界にいると、ざっくりいえば家族に向ける顔、友人に向ける顔、会社の人に向ける顔、ぐらいかな。細かく言うと父と母とで向ける面は違うし、友達も相手によるし、上司と同期で違ったりするから接触機会が多い人の数だけ適切な仮面をつけかえている気がする。
SNSだとサービスによって色が違うから仮面の付け替えがわかりやすく鮮やかに浮かび上がる。Facebookは真面目な意識高いわたし。Instagramはおしゃれな、おいしいものを食べている、楽しく生活しているわたし。Twitterは脳内の垂れ流し。一番無秩序。
Twitterで言えばオタクのアカウント、短歌創作用のアカウント、プライベートのアカウント(鍵付き)の3種類を使い分けている。付き合っている相手が違うし、話している内容も違うからそれぞれのキャラクターは異なる*1。
とはいえこれって自分で認識できている枚数であって、実際には他者の目の数だけ仮面はあって、「つけていると思われている」…これが矢花さんのいう自己像との乖離につながるのかな。
自己像と理想像の乖離は私も苦しむところで、今回の文章で共感できたポイント。元々「真面目だね」って言われることが多いから、仕事で期待通りのパフォーマンスができないとがっかりされそうで損しているなあと思う。あんまりよくない評判の同期がなんだかんだうまいことやって、同じくらいの成果上げてるだけなのに褒められてるのみると心の中でハンカチを噛みしめすぎてもはや引きちぎる勢い。プラスイメージでスタートするのと、マイナスイメージでスタートするのでは、着地点が同じでも相対的に上がって見えるのは後者。結局テキトーな人間が得するようにできてるのかなっていじけたくなる。
あと、仮面の数は多いほうがいいのか少ないほうがいいのか?という議論もあるかもしれないけれど、多いと疲れそうだし少ないと自分を守れなさそう。裏を返せば、多いと自分を守る武器(これが「最終兵器」かもね)があって、少なければいつでもありのままの自分でいられるということだから、どちらがいいとか適切だなんてこともないか。
矢花さんのトラウマが何かはわからないけれど、矢花さんにとっては「本来の自分」と「アイドルの自分」の境界が曖昧になることよりも、本来の自分を勘違いされるほうがこわいのかな。相手の勘違い、曲解=自己像と乖離している、ということ?
個人的には仕事が私生活に介入、侵食されることをこのまないから、職場での自分と私が認識している自分は切り分けていて、ある一定のラインからは侵入させないようにしている。だから矢花さんとはまったく真逆の考えで、仮面の内側は聖域。だからブログを読んで、自己開示の結果、面と面の境界が限りなく近づいて曖昧になることで矢花さん自身があとから苦しまなければいいな、と思ってしまった。結局は表現したいように表現して楽しく過ごしてもらえれば何よりだけど。
オタクは曲解する生き物だからこそ、極力発信されたことをありのまま受け止められるようにしたいなと思わせてくれる文章でした。
■はなしのネタ
思考のストレッチではないけれど、矢花さんの車のお話がききたいです。どんな車が好きか、憧れているものはあるのか、とか。あと運転しているときに楽しいこととか…私も車を運転するほうなので気になってます🚙
■余談
中学校の美術の授業で仮面をつくったことを一番に思い出した。それこそ「ペルソナ」という単元名だった気がする。紙粘土をベースに、シーグラスやら色々なもので飾り付けをして制作するのだけれど、ほとんどの人間は…というか私以外は、仮面を土台としてどう飾るかを考えていた。私はボロボロに割れた仮面をつくって、土台となる板にも意図的な装飾をちりばめて、仮面の内側にいる自分も表現した。当時は一人の男子にいじめられた結果クラスでの発言権を奪われていたので、うっぷんをぶつけることで現状を表現したかったのかも。まあ結局は仮面が割れた先の中身の自分が、芯みたいなものがしゃんとしていないと、何も守れないのかもしれません。
異担侍日報侍ふ(矢花さん)#4_210512に寄せて
矢花さんのブログを読んだ。
まさか自担から、タグで考えを届けてねと…意見表明を推奨されるとは思っていなかったので戸惑っている。アイドルが発信したあらゆるもの(曲、詞、動画、写真、発言等)を解釈すること、それを発信することは、ファンの間でも意見が分かれるし、何より届いてしまう相手(アイドル)がどのタイミングでどう受け取るかわからないから正直迷った。なんならこのブログ…よくわからない概念カレーの記事とか創作短歌のメモがつまったブログに投稿することも迷った。迷ったけど、「とある人間のオタク成分」を抽出した記事にまざって「とあるオタクの平凡な人間としての生活の成分」が強い記事があってもいいだろうと思い、ここに記すことにした。続けててしっくりこなくなったらnoteでも作ろうかな。そういうわけで冗長な自語りブログだけど許してね。ブログってそういうものだし。
本題。
”過去に戻る”
それをしてどうなりたいかにもよるとは思うが、「現在の自分をより良くしたくて(マシにしたくて)、変化のために過去に戻れたら」という理由であれば、「戻らない」というのが私の選択だ。
過去に戻ったら現在の自分を否定する、今自分が抱えているものを手放すことになるのでそれはできない。少なくとも私は今抱きしめているものに価値を感じているからだ。
割と平和な、平凡な人生を送っているのでドラマティックなことは書けないけれど、少なくない人数に経験がありそうなことで例示をしてみようと思う。
私は大学受験に大失敗して(10校うけて何とか1校だけひっかかった)、悔しくて仮面浪人や自主退学も考えたことがある。でも「今自分が得ているもの(友人や学び)」と「仮面浪人して成功/失敗した場合に得られるもの」を比較したときに魅力を感じたのは前者…今の大学、環境でやりきることだった。勉強もやりたいことも趣味も全部やってやる。そう決めて過ごしはじめてからは同じ環境にいても楽しいと思える瞬間が増えたし、漫然と4年間を過ごさずに済んだ。次のステップを選択するタイミングである就職活動では自分なりに大学受験の時の失敗を分析したり、自分が選んだ選択…その大学に居続けたことで得られた経験をもとに面接での回答を組み立てたりして、結果第一志望に受かることができた。
大学入学時点では失敗だと思っていた状況を、自分の考え方を変えて、行動を変えたら、4年後に成功だと思える状況が待っていた。この経験は私にとってものすごく大きかった。
もちろん就職してからしんどかったこととか精神的に病みかけたこともあるけれど、納得して自分で決めた道ということもあり、今の会社を選んだことを失敗だとは思っていない。ただこの不安定な時代、いつ会社がなくなるかもわからないので自分の足で立つ努力を怠ってはならないなと思う。
「成功/失敗だと思える状況」とさきほどからしつこく書いているのは、時点が変われば見方が変わるからだ。成功だと思える状況である今が崩れないように、今の時間を未来のために投資することを怠りたくない。これは数年後数十年後の自分が、過去に戻れたらと絶望することがないように、現在地の自分から未来に向かって届けられるささやかな贈り物のようなものだと思っている。
ただ、「自分の現在地を変えるほど影響はないけれど、もう一個の選択肢を選んでみたかったかも」ということはチラホラある。RPGでいうと、ストーリーは変わらないけれどもらえるアイテムやパラメータが変動する感じ。
人がイジメられているのを見てみぬふりしないとか、電車内でトラブルにあったときに加害者に言い返すだとか、嫌なものを嫌と断るとか。
「あの時ちゃんとできていれば、自分の中にある影の要素が減っていたかも」とふと考えることがあるが、失敗して得る感情、わかる立場があることで人に対して寛容になれるのだと思うから、これもやっぱり過去に戻るという選択肢はとらないかな。戻ったところですべてのパラメータが上がるわけではないし。
仮に戻れたとしても、私の性格上どこかで努力を怠ったり、その道の狭き門をくぐれる可能性を信じてあげられなくて、結局似たようなベクトルの位置に収まっていただろうなと想像する。結局、自分が幸せだと感じられる未来を選びとる瞬間はいくつもあるけれど、その中でも特に大事な選択について、しっくりくるものを選べていたら、それでいいんだと思う。*1
ダラダラ書いてしまったけれど、戻れたとしても、自分の性格のネッコの部分は変わらないまま色々な選択をしていくわけだから、ドラスティックな変化は望めない⇒「現状をよりよくするという観点だけで言えば、過去には戻らない」というのが私の意見かな。
このブログを書きながら、同期が言っていたこんな言葉を思い出したりもした*2。
「〇〇が40になった時に、今の選択を後悔したり、人を羨んだり、自己肯定感が下がることがないようにすればいいんじゃない?」
結局これに尽きるのだと思う。
余談:矢花さんのブログを読んで、 昔フジテレビ系列でやっていた『ロス:タイム:ライフ』というドラマを思い出した。オムニバス形式のドラマで各話の主人公が死ぬところから物語が始まり、各々の後悔を人生のロスタイムの中で晴らすというもの。過去に戻ることとは時間軸の取り方が違うけれど、ある種人生のどこかにキューを置いてやり直しているドラマだと思う。DVDかオンデマンドで見れる。私は第3話のスキヤキのはなしと、第9話のひきこもりの話が好き。
【結成3周年記念】7MEN侍の概念カレー作ってみた。
※アップした日が結成日だっただけで7MEN侍のこの1年の活躍とかを振り返るわけではない マジでカレーの話しかしとらん
みんな、カレーは好きか~~~~~~?!!!!!!
インドカレーにネパールカレー、最近はスパイスカレー*1のお店も増えてきている!
私はカレーが大大大好きなので、休みの日にはカレー屋さんめぐりをしたりビリヤニ*2を食べたり、いわゆるスパイス活動に励む日々を送っている。昨にはおうち時間を充実させたい時期に親がテレビでやっていたレシピを教えてくれたので、とうとう市販のルーを使わずにカレーを自作した。(公式サイトに情報ないからまとめサイトぺたり)
レシピにあるように玉ねぎとトマトとスパイス3種類がこのカレーのベース。これにメイン具材やスパイスを加えたり変えたりすればいろいろなカレーが作れるというわけ。炒めるのに油こそ使うけれど小麦粉も不要◎意外と普通のカレーと手間も変わらないのでそのあと何回か作っていた。
そんなこんなで先日、自担の矢花黎さんが月曜から夜ふかしに街頭インタビューで出演し、そのうえご丁寧にその時の解説動画を公式サイトにアップしていた。福利厚生が整いすぎてる。これ
そもそも地上波に推しが出て大興奮だというのに情報量が多すぎる動画を出されて私は混乱した。そうだ、カレー、カレーを作ろう。私は心を落ち着かせるため玉ねぎとトマトを無心にみじん切りにしはじめた。野菜トントン、スパイスパッパ、具材と水を入れて煮詰めたら幸せなカレーが出来上がっており無事優勝した。うまい。スパイスしか勝たん。
ここで1つ壮大な考えが舞い降りた。
「7MEN侍って、スパイスカレーじゃね???」ドーーーーーン
…何を言っているのかわからないと思うがまあとりあえず聞いて欲しい。理由は2つある。
理由①:それぞれのスパイスとメンバーは似ている
スパイス1つ1つは強烈な香りを持っている。これは個性豊かな…様々なシーンで異端児と言われていたり、「ヤバイ」「カオス」と形容される彼らに似ているのではないか。
7MEN侍がヤバイ例:
・ジャニーズの公式サイトにはクリスマスにメッセージカードが掲載されるのだが、他グループがかわいいイラストやメッセージを添える中、シールで顔を作ったりハードなイラストを添えているメンバーが多数を占めていた
・メンバーをガムテープでぐるぐる巻きにしたあと救出する動画がある(公式)
・なお人体実験をする人*3、部屋でシャンプーする人*4、誕生日に魚の気持ちになろうとしたり*512㎏のブリを家でさばきだす*6人、「全員」を「全裸」と読み間違え*7ステージの上ではギターをもったままアクロバットを披露する*8人、おとなしそうに見えて素っ頓狂な姫君*9、歯でベース弾きだす人間*10が同じグループに属している
ざっとあげるだけでもこんな感じだしキリがない。
理由②:まぜたらインパクトはそのままに「なんかいい感じ」にしあがる
スパイス1つ1つは強烈ではあるものの、混ぜると調和しつつ、でも個性はそのままの風味に仕上がるのがカレーの面白いところ。この「混ぜると調和する」を体現している7MEN侍の動画がこちら。
6人それぞれが罰ゲームドリンクを考案し、作り、自分で試飲したうえでメンバーにふるまうという概要を説明するだけでもとんでもない動画なのだが、最後に6種類のドリンクを混ぜるとなぜか中和され飲めるレベルのシロモノになるのである。なぜだ…。これを調和と言っていいのかはわからないが、個性あるスパイスがカレーとしてひとつにまとまるように、クセが強い人間を6人あつめたらグループとしていい味が出てまとまったのが7MEN侍だと言わんばかりの内容となっている。
この2点から私は「7MEN侍スパイスカレー説」を提唱した。
では、各メンバーをカレーに使用するスパイスにあてはめていく。
いわゆるウコン。原語の鬱金は嶺亜さんのメンバーカラーでもある「鮮やかな黄色」の意。カレーの顔とも言える色をつけるスパイス。ちなみに含まれる成分のクルクミンには抗酸化作用があり美肌に効果がある。なんてったって嶺亜様はお美しいので…
■菅田琳寧:クミン(クミンシード)
カレーのカレーらしい香りを司ると言っても過言ではないクミン。7MEN侍の公演を作り込むときに「ジャニーズアイドル」らしい要素を落とさないよう矜持を持っている彼に似合う。単独でも炒め物やドレッシングに使えたりといろんなものに相性がいい。
■本髙克樹:コリアンダー
彼が苦手なパクチーの種子を粉末にしたものだが、香りは全く異なる。役割としては複数のスパイスや味のまとめ役と行ったところ。頭が冴えるのに、人を寄せ付けないというより柔らかい雰囲気のある彼らしい。食欲増進効果があるスパイスでもある。(もぐもぐTV…*11 )
よく使う3種類なので近くのアジアマーケットで大きめサイズを買った
ちなみにこのターメリック、クミン、コリアンダーの3つがスパイスカレーの骨格ともいえるスパイスなので、地上波バラエティに出て外とのつながりをつくる、アイドルとしての7MEN侍の外枠を固めているお兄さん組(チームマシュマロ)の3人にあてはめてみた。続いてグループの弟組3人(チーム裏起毛)のスパイスも決めていこう。
■今野大樹:シナモン(シナモンスティック)
お菓子に使われる印象のあるシナモン。嗅ぐと甘いものを連想するがスパイスそのものが甘いわけではなく、カレーに使うとマイルドさや深みをもたらす。つかみどころがない猫みたいな、でも周りをよく見てるこんぴにはそんな芳香が似合うと思った。
■矢花黎:花椒
麻辣の「麻」 漢字の通り麻婆豆腐など中華料理につかわれているシビ辛スパイス。一度試作した時は舌に爽やかさが残るカルダモンにしていたが、もう少し後味に攻撃力がほしかったのでより刺激のあるスパイスに変えた。 ころんとした見た目とは裏腹に食べるとシビシビでびっくり、意外性を加えてくれるところが矢花さんぽい。
■佐々木大光:カイエンペッパー
いわゆる赤唐辛子、チリペッパー。ちょっとの量でぴりりと辛いのは大光チャレンジの衝撃に近いものがある。後に記載する分量は(メンバーの人数やグループの名前にあやかって)6,7振りって書こうとしたけれどみんなの粘膜が死ぬのでやめた。
よっしゃ、そしたらクッキングしてこ~!基本は最初に貼ったレシピに沿っている。(複数回試作したので写真はごちゃまぜだけど気にするな)
①ベースとなるトマトと玉ねぎをみじん切りにする。トマトはトマト缶でもいいし玉ねぎはめんどくさければスライスでOK~
②フライパンに熱した油に香りを移す。粉のスパイスではなく、実や種や樹皮といった粉にする前のもの*12…今回で言うと「クミンシード」「シナモンスティック」「花椒」の3種類をIN!ここで焦がすと台無しなのでじっくりとスパイスの周りに泡がぷくぷく出てくるくらいまで温める。まあ私はよく焦がすんですけど…分量はテキトー。
クミンシード⇒小さじ1/2くらい
シナモンスティック⇒1本をケチって半分にした
花椒⇒10粒くらい(下の写真は入れる前なのでいない…)
③香りの移った油に刻んだしょうがとにんにくを入れる。めんどくさいから私はチューブをつかうのだけれどま~~~~~この時にアブラが跳ねる!ので私はチキッて秒で玉ねぎを入れてる。おすすめはチューブじゃなくてみじん切りorスライスした生姜とニンニクだよ!汚れてもいい服で調理をしよう。本当はあめ色になるまで根気よく炒めるよ~そのあとにカットトマトを入れてさらに炒める。
⇒⇒
④③の水分が少し飛んで玉ねぎとトマトがまとまってきたら、スパイスをドサドサいれていく!目安としては以下の通りだが後から味見して物足りなかったら少しずつ増やす。スパイスは油となじませたほうが活きるので極力ここで味を調えたいところ。
花椒(粉末)⇒小さじ1~2 人による 私はパウダー買うのがめんどくさかったのでホールをミキサーにかけて使った
シナモン(粉末)⇒小さじ1/2 4振りくらい
カイエンペッパー ⇒2~3振りくらい 具の量が多かったり辛いのが大丈夫な人は増やしても◎
左からシナモン、クミン、コリアンダー、ターメリック、花椒。Rollin'の時の並びですね(うろ覚え)
そして後方センターのドラム位置にカイエンペッパーを振りかける!ここで辛さが決まるので慎重かつ大胆に行こう。ちなみになぜGABANのカイエンペッパーにしたかというと、侍tubeのV系メイク回のアジャコング大光ちゃんのビジュに似ているから*13。(伝わって欲しい)
ここまでくればベースはできたも同然。具を入れて塩で味を調えたら完成である。本高克樹さんに敬意をこめてお魚カレーにしてもよし。これはさばの水煮缶を使った。うまみたっぷりの汁ごと全部入れて煮詰めよう。これはうまかった。
現場に行く前だからダイエットしなきゃ><って子は野菜やキノコ、大豆ミートを入れてもよし◎この場合は水分で味が薄くなりやすいので味を調えた時の味見をしっかりとしよう。うまみも塩気も足すなら塩こうじや味噌を混ぜるのがオススメ。あとからチーズを足してもおいしい。合わないわけがない。
今回は概念カレーをつくるために、メンバーひとりひとりの個性をスパイスの種類や分量に反映させようとこだわったので、このカレーに最もフィットする具材はこれからいろいろ試して見つけていきたいなと思っている。この組み合わせ大丈夫かな?と思うようなものでも大体大丈夫。カレーというウツワはあらゆるものを受け入れ融合させることに長けているからね。皆さんにも推しの概念カレー作ってみてほしい!とりあえずカルディに行こう!カルディがなければスーパーでも十分揃うよ!
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海軍が曜日感覚をつかむためカレーを食べていた名残ある曜日ゆえ、個人的にカレーのイメージがある金曜日。このブログを更新しているのも金曜日で、7MEN侍のYoutube更新曜日も金曜日。そしてなにより今日は彼らの結成3周年記念日である。スパイスカレーのようなあらゆるものを受け入れる懐の深さに似たものを持っているグループの空気感、食べた時の衝撃や刺激に近い予想できないワクワク感が彼らの強みであり、大きな魅力のひとつだと私は思っている。カレーが色々な具材を受け入れたり、スパイスの分量を変えてよりよい一皿を追求するように、取り入れたり離れたりバランスをとりながら、彼ららしい「皿」「一杯」を作り出していく過程をこれからも見守っていきたいと、概念カレーを作る過程で強く思うのであった。
7MEN侍、3周年おめでとう。まだまだファンになって半年の新米の痺愛(ヒメ)ですが、これからも応援させてください。6人のことが大好きです!!!!!!
■結成日の今日アップロードされた公式動画おいとくね
YouTube:みんなで楽しく民族楽器演奏しているかわいい動画
IslandTV:みんなかわいい(あたりまえ体操)
*1:定義を見ると現地料理とは異なり日本人が独自解釈をしたものらしい
スパイスカレーって、なに!? インド料理店では使ってはいけないってホント!? カレーマニアが解説! | Oggi.jp
*2:スパイス風味の炊き込みご飯みたいなもの
*3:
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*8:映像はないけどSASUKE初出場で1stStageクリアしたっていえばすごいって伝わるってお母さんが言ってた!
*9:さっき貼り付けたガムテープグルグル巻き動画の今野さん…金髪の人の動きがおもろいからそれをみれば素っ頓狂なことはわかる。あとこの人はガチのキムタクオタ。もはやオタク通り越してる崇めてる。
*10:これも公式映像がないけど楽器持ったら性格が変わるベース弾きの動画はこちらでお楽しみいただけます
*11:
*12:「ホール」と呼ぶ
*13: